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第4章「綜學各論~中国思想と仏教思想」

 投稿者:自適  投稿日:2018年 5月23日(水)09時20分59秒
  【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その78

第4章「綜學各論~中国思想と仏教思想」

◆中国思想概論◆

◇インドは宇宙的、チャイナは政治的、日本は綜合的◇

本章では綜學の各論として、中国思想と仏教思想について述べます。まず中国
思想からですが、既に武士道のところで朱子学などに触れています。ここでは
中国思想の全体像を、概論的に解説することにします。

同じ東洋の思想でも、インドの思想とチャイナの思想とでは、その基盤に大きな
違いがあります。暑さ厳しいインドの場合、現世を厭う気分が生じ易くなり
ます。そのため、人間社会を飛び越えて思想が宇宙に拡大されたり、一転して
意識が自己の内側(内なる宇宙)に向かったりします。

厳しい現世から救われたいという、「解脱」を求める気持ちが起こるのも同じ
理由からでしょう。俗世の束縛から解放され、迷いや苦しみから脱出することを
解脱と言い、それがインド人の人生最大のテーマとなりました。つまり、目の前
の現実を超越し、内面・裏面を強く追求する「裏観」が働き、宇宙的で超現世的
な傾向を持つようになったのがインド思想の特徴というわけです。

それに対して中国思想は、政治的・社会的・現世的な性格が目立ちます。広い
大地に黄河や揚子江が流れるチャイナでは、大河の氾濫を鎮めることが第一の
課題となりました。治水なくして人民の生存は有り得ず、そのために必要となる
のが、強固な統治力と、それを行使する統治者でした。従って、常に政治が
テーマとなり易く、思想自体が政治性を帯びることになるのです。

そうして政治が前面に出れば、地位や名誉、権力などへの関心が高まり、それら
を手に入れようとする野望が強まります。名利に敏感な「表観」が大きく働く
のは当然でしょう。名利を否定しているはずの裏観的な老子の思想ですら、政治
への積極的な発言が見られるほどです。

その強固な統治力への希求は、チャイナに「一人の天子」という存在を生み
出しました。天子は、この地上世界でたった一人、天と結ばれた存在です。
天の命ずるところ(天命)によって、この世の支配者となる人物です。
人民は、この天子を通して天と繋がることになります。

この点、インドはどうかというと、一人ひとりが宇宙と結ばれます。それを
「梵我一如」と言います。「梵」は宇宙の真理、「我」は自己の内なる真理です。
両者は一つに結ばれているというのがインド人の考え方であり、そのためにヨガ
などの修行が起こりました。

また、チャイナは政治的な国ですから、歴史と年号の記述がしっかりしていま
す。インドは宇宙的な国ですから、チャイナほどには歴史を記録しません。

では、我が国の思想はどうかというと、日本思想には綜合的な性格があり、
外来思想をよく受容し日本化させてきました。儒教の日本儒教化、仏教の日本
仏教化がそれです。チャイナでは指導者層の思想であった儒教を、国民全体の
道義心を育成する思想に変えました。インドでは否定と諦観(あきらめ)の思想
であった仏教を、現世を肯定し国体(国柄)を鎮護する積極思想に転換させたの
です。

それから、ミナカ(中心)を尊ぶことや、タテイトの連続性を重んずること、
大きな和(輪)を求めることや、その大和(だいわ)を言葉で起こそうとする
ことなども日本思想の特徴です。

このように、インド思想には宇宙的、中国思想には政治的(現世的)、日本思想
には綜合的であるという、それぞれの特徴があります。その上で、三者に共通
している思想が「共生」であるということを申し添えておきます。インドでは
梵我一如という宇宙と自己の共生思想が、チャイナでは陰陽論における二極共生
思想が、日本には「お陰様」や「お互い様」という自他共生思想があるのです。

では、中国思想の全体像を概論的に述べていきましょう。(続く)

林英臣の元氣メール第1075号
 
 

体内時計の24時間周期 酵素を発見

 投稿者:自適  投稿日:2018年 5月22日(火)06時20分5秒
  <京大チーム>体内時計の24時間周期 酵素を発見
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180522-00000002-mai-sctch
5/22(火) 4:00配信

 京都大大学院薬学科のジャンミッシェル・フスタ講師、岡村均特任教授らの研究グループは生物の体内時計の24時間周期を決める酵素を発見したと発表した。体内時計をコントロールする「時計遺伝子」のたんぱく質を安定化させる酵素で、ネズミで多く発現させると体内時計の進みが遅くなった。逆の働きをする酵素もあり、この二つの酵素のバランスで体内時計の周期が決まっていることを突き止めたという。成果は22日、米国科学アカデミー紀要(PNAS)電子版に掲載される。

 体内時計は朝に目を覚まし、夜になると眠くなるような24時間のリズムを作り出し、動植物の行動を支配している。昨年のノーベル医学生理学賞は、これを制御する時計遺伝子「Period(ピリオド)」を発見し、仕組みを解明した米国人研究者ら3人が受賞したが、どうやって「24時間」の周期が決まるのかは分かっていなかった。

 ピリオドはPERというたんぱく質群を作り、中でもPER2の安定性が重要とされる。体内時計が早く進み、夜早く眠り早朝に目覚めてしまう遺伝性の睡眠障害「家族性睡眠相前進症候群」の人は、PER2に変異があって分解されやすくなっている点に研究グループは着目。これまで機能が不明だった酵素「CK1D2」をネズミの細胞で多く発現させたところ、PER2が安定化し、体内時計が通常よりゆっくり進んだ。一方、PER2を分解する酵素「CK1D1」を多く発現させると、通常より早まった。この全く逆の働きをする二つの酵素が同じ遺伝子から作られていることも発見した。

 フスタ講師は「今後は同一の遺伝子から全く相反する働きをする酵素がどのタイミングで作られるのかを調べたい」としている。【菅沼舞】
 

半数に薬剤耐性菌

 投稿者:自適  投稿日:2018年 5月 2日(水)09時27分5秒
  半数に薬剤耐性菌 高齢者ら感染時、抗菌薬治療に支障も

毎日新聞2018年4月3日 東京朝刊

 国産や輸入の鶏肉の半数から抗生物質(抗菌薬)が効かない薬剤耐性菌が検出されたとする調査結果を、厚生労働省研究班がまとめた。健康な人なら食べても影響はないが、免疫力が落ちた病人や高齢者らの体内に入って感染すると、抗菌薬による治療が難しくなる恐れがある。

 食肉検査所などで約550検体を調べ、全体の49%から耐性菌が見つかった。家畜の成長を促す目的で飼料に混ぜて抗菌薬が与えられることがあり、鶏の腸内にいる菌の一部が薬剤耐性を持つなどして増えた可能性がある。

 鶏肉から耐性菌が検出された例は過去にもあるが、研究班の富田治芳・群馬大教授は「半数という割合は高い」と指摘。家畜や人で「不要な抗菌薬の使用を控えるべきだ」と訴えている。

 鶏肉の小売業者などでつくる日本食鳥協会は「耐性菌の低減には国の方針に基づいて積極的に取り組んでいきたい」とコメント。耐性菌に限らず食中毒を防ぐため、食べる前に十分に加熱するよう呼び掛けている。

 牛や豚は今回の調査に含まれていない。家畜由来の耐性菌による感染症は医療現場で大きな問題となっており、主要7カ国(G7)首脳会議(サミット)でも対策が議論されている。

 研究班は2015~17年度に、国内3カ所の食肉検査所で集めた鶏肉や、ブラジルなど5カ国から輸入された鶏肉で薬剤耐性菌の有無を調査。その結果、全体の49%から「ESBL産生菌」か「AmpC産生菌」という耐性菌を検出。国産では59%、輸入品は34%だった。国内で抗菌薬の種類や使用量に大きな差はなく、全国的に同様の傾向とみられる。

 これらの耐性菌は、肺炎などの感染症治療に広く使われる「第3世代セファロスポリン薬」がほとんど効かない。国内の病院を訪れた患者の体内から検出されるケースが増えており、院内感染の原因になると懸念されている。
薬の使い方再考を 薬剤耐性菌に詳しい東邦大の舘田一博教授(微生物感染症学)の話

 ESBLやAmpC産生菌などの耐性菌はこれまでにも食肉から検出されている。健康な人なら体内に入っても影響はなく、他の薬で治療できる菌だ。だが、病気などで免疫力が落ちているとこれが原因で感染症を発症する可能性があり、食肉などを通じて市中に広がることが懸念されている。耐性菌対策には家畜も含めた取り組みが必要だ。解体作業で食肉に付着するのを防ぐのに加え、飼料添加物としての抗菌薬を減らすなど、使い方を考えていく必要がある。
 

元号の存在感薄れる?

 投稿者:自適  投稿日:2018年 5月 1日(火)17時05分32秒
  元号の存在感薄れる? 改元まで1年「西暦の方が便利」

5/1(火) 11:40配信

京都市の転出届。生年月日は西暦でも記入できる

 「平成」はあと1年となり、来年5月1日からの新しい元号への関心が高まる。しかし、住民票発行や転入・転出届を提出する際、生年月日を西暦で記入できる様式が、京都府内の自治体で広がっている。15市のうち、元号に限定しているのは5市だけで、担当者は「特に平成生まれの若者に西暦記入が多い」という。大学の入学願書を西暦に限るところも目立ち、昭和に比べ、元号の存在感は薄れているようだ。
 出生届など国が様式を定める戸籍関係を除き、住民票は市町村が自由に様式を定めることができる。住民票発行と転入・転出届の様式を確認したところ、二つとも生年月日を元号表記で求めているのは、福知山、舞鶴、亀岡、京田辺、京丹後のみ。役所の公文書は元号表記だが、住民には自由に選べるようにしている市が多く、京都、宇治、宮津の3市は両方とも西暦可だった。
 1979年の元号法制定時、学者が「戦前の天皇制復活につながり、国際感覚の上でも不便」との反対声明を出し、今回も新元号に反対する署名活動が行われている。ただ各市に聞くと、2012年7月に在日外国人の住民票登録が始まったことを契機に西暦欄を設ける市が増えたとみられる。転入・転出届を西暦可にする南丹市は「日本人でも西暦で書く人がおり、想定外だった」という。
 国が76年(昭和51年)に行った世論調査では、87・5%が「主に年号を使う」と答え、主な理由は「時代の区切りが明りょうになる」「古くからのしきたり」だった。しかし、市民に話を聞いてみると、大学生山根萌さん(21)=京都府精華町=は「就職活動の履歴書は西暦で、昭和と言われても何年前かすぐに分からず、西暦の方が便利」という。元号派の中野あゆみさん(33)=中京区=も「1984年と書くより、S59年の方が早い」。2人とも元号に深い思い入れはなかった。
 大学の入学願書の様式を調べて見ると、京都大、同志社大、立命館大、京都産業大とも西暦限定。皇室ゆかりの学習院大でさえ現在は西暦しか受け付けず、担当者は「増加する留学生に対応するため」。国際化で元号の使用頻度が低下する実態が垣間見えた。
 一方、元号表記を守るところもある。運転免許の新規、更新申請は元号限定で府警は「免許証は元号表記だから」とした。
 元号の強制使用に反対してきた共産党の機関紙「赤旗」は昨年4月1日号から、日付で元号の併記を再開した。昭和天皇が死去した89年1月7日まで「昭和」を併記していたが、当時、世間で天皇制の美化が進んでいたため、元号を消したという。同党幹部は「野党共闘で旧来の支持者以外の購読者が増え、『西暦だけでは不便』との要望を受けた。当初は党員から意見も寄せられたが、大きな反発はない」という。
 

人生は運で決まる

 投稿者:自適  投稿日:2018年 4月 9日(月)08時42分34秒
  人生は運で決まる:『ダーウィン・エコノミー』
2018年04月07日 17:55

人生が運に左右されることは多い。あなたが就職の面接で失敗していたら、今の会社には入れなかったかもしれない。デートのときケンカ別れしたら、今の妻(夫)と結婚していなかったかもしれない。何よりあなたの生命は、受精のとき1億以上の精子の中から選ばれた幸運だ。こういう初期条件はやりなおし不可能なので、それを前提にして人生を最適化するしかない。

運が非科学的だと思うのは、科学を必然的な「法則」の同義語と考える19世紀的な発想だ。量子力学では、素粒子の状態は確率的にしか決まらない。生物学でも、カタツムリの殻が右巻きか左巻きかをアプリオリに決める法則はないが、他のカタツムリがすべて右巻きだと、左巻きの個体は生殖できない。

ニュートンの同時代人だったアダム・スミスは、古典物理学をモデルにして経済学を構想した。ニュートン力学の重要な結論は、世界には唯一の均衡状態(力学的平衡)が存在するということだが、これはその初期条件から導かれる。

重力の加速度gが世界中で同じ値(地表で9.8)をとると、運動方程式によって唯一の均衡状態が導かれるが、その初期条件の必然性は証明できない。つまり初期条件が複数あると均衡状態も複数ある。たとえばgが20だったら別の均衡状態が存在するが、地球は存在しない。重力が大きすぎて、地球が太陽のまわりを公転できないからだ。

いま経済学者に「経済学の元祖は誰か?」と質問したら、99%がアダム・スミスと答えるだろうが、著者は100年後の経済学者が同じ質問を受けたら、過半数がチャールズ・ダーウィンと答えるだろうという。それはスミスの「見えざる手」が機能する状況は、ダーウィンの進化論の特殊な場合(均衡状態が一つに決まる)だからである。

ニュートンの宇宙と違って社会には無数の異なる初期条件があるので、そこから出てくる均衡状態も無数にありうるが、現実に存在するのはそのごく一部だ。大進化(突然変異)と小進化(淘汰)によって、環境に適応できる個人や企業だけが残るからだ。初期条件を決める「大きな決断」を資本家がやり、その後の「小さな最適化」を労働者がやるのが資本主義である。

日本の会社のような労働者管理企業が成功する例は少ないが、資本家が経営する自営業が大きく成長することも少ない。多くの試行錯誤の中から初期条件を選び、経営者が大きなリスクを取って多くの労働者を雇う企業が成功する。

こういう社会で生存する企業の経営者は有能だが、有能な人がすべて成功するとは限らない。人生の大部分は偶然で決まるので、運の悪い人は能力があっても成功しない。したがって政府が最低所得を保障すべきだ、というのが著者のようなリベラルの主張である。彼の提案する累進消費税は検討に値する。

アゴラ 池田信夫
 

マレーシアで未知の言語発見

 投稿者:自適  投稿日:2018年 2月15日(木)08時14分26秒
  マレーシアで未知の言語発見 男女平等・平和な社会を反映

2/15(木) 5:10配信  Yahoo! JAPAN

マレーシアの行政首都プトラジャヤにある首相府前で抗議デモを行う先住民ら(2010年3月17日撮影、資料写真)【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】マレーシアで、これまで存在が知られていなかった先住民言語が見つかった。「ジェデク(Jedek)」と呼ばれるこの言語は、男女が平等に扱われ、暴力もほとんどない生活様式を反映しているという。これを受け活動家らからは、先住民保護の強化を求める声が上がっている。

【写真】マレーシア各地で暮らすさまざまな先住民

 スウェーデン・ルンド大学(Lund University)の言語学者チームは、既知の言語であるジャハイ(Jahai)語の調査のためにマレーシア東部クランタン(Kelantan)州遠隔地の森林地帯にある村々を訪れ、さまざまな集団のデータを収集していた際、多くの人々が違う言葉を話していることに気づいた。

 この地域では人々が杭上に建てられた木製家屋に住み、狩猟採集生活を営んでいる。研究チームのニクラス・ブレンフルト(Niclas Burenhult)氏によると、過去に人類学者が同地域の調査を行っていたものの、今回の調査では異なる質問を住民にしたため、ジェデク語を発見できたという。

 ジェデク語の話者はわずか280人。ルンド大学によると、西洋社会よりも男女間が平等で暴力がほとんどなく、子どもらは競争しないことを良しとされる生活様式を反映した言語になっている。

 同大の声明によるとジェデク語には「職業」や「裁判所」に当たる言葉がなく、「借りる」「盗む」「買う」「売る」などの所有を表す動詞もない一方で、「交換」や「共有」を表す語彙は豊富だという。【翻訳編集】 AFPBB News
 

日本語で育つと“日本人”になる

 投稿者:自適  投稿日:2018年 2月11日(日)17時13分21秒
  【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その60

◇日本語で育つと“日本人”になる◇

8月も半ばを過ぎると、夜は秋の虫たちが鳴き出します。その虫の音(ね)を
聴いて、理由は分からないものの、しんみりと感傷にふけるのが日本人の心情
です。

この感受性は人類共通のものかと思っていたら、さにあらず。どうやら日本人
特有の感性らしいのです。虫の音を雑音として聴いてしまう外国人とは随分違う
とのこと。

耳鼻科出身の医師として難聴や失語症の研究を行い、やがて言語処理における脳
の機能的な特徴を調べた角田忠信氏という先生がいます。その研究によって、
日本人だけが独特な脳の働きを持っていることが判明しました。

脳は右脳と左脳に分かれています。言語脳は左脳にあるのが普通で、日本人以外
は、左脳で子音を含む音節を処理しています。母音をはじめとするそれ以外の音
は、全て右脳(非言語脳)で処理されます。

ところが日本人の場合は、子音や母音はもとより、甘え声・嘆き声・怒り声・
泣き声といった、言葉ではない声(感情音)も言語脳で処理されます。さらに、
人間以外の動物や鳥の鳴き声、虫の音、それから雨・風・波・せせらぎの音
など、自然界の調べに至るまで、殆どの音を言語脳で処理しているのです。

このことがどうして分かったかというと、脳には機能の上で左右どちらかが優位
に働くという大脳半球優位性があり、それに基づく「角田テスト」によって
明らかにされました。

脳から出ている神経は交差しており、右の脳と左の耳、左の脳と右の耳がつなが
っています。そこで、左右の耳に違う音を聴かせ、どちらの音を優先的に聴いて
いるかを調べますと、左右いずれの脳がその音を処理しているかが分かることに
なります。これが角田テストであり、それによって日本人と日本人以外の、音声
に対する脳の処理様式の違いが判明したのです。

繰り返しますが、日本人は、子音・母音・感情音・動物や鳥の声・波や風や雨音
などの自然音を、一通り言語脳で処理しています。一方日本人以外は、子音の
音節のみを言語脳で処理しています。この事実は、一体何を意味しているので
しょうか。

角田先生は、この言語の処理様式の違いが、日本人の遺伝的特徴によるものか
どうかも調べました。日本人の、生まれながら資質なのかどうかの確認です。

それによれば、両親が日本人でなくても、日本に生まれた子が日本語で育てば
日本人と同じ処理様式を示すし、両親が日本人であっても、海外で生まれた子が
日本語以外で育てば日本人以外の処理様式を示すということが分かったのだそう
です。つまり、日本語で育つかどうかが決め手であったというわけで、特に9歳
くらいまでに身に付けた言語が大事なようです。

子音の基盤となる母音、言語以前の声である感情音、人間以外の声、さらに自然
界の音を言語脳で処理するというのは、最も原始的な言語の処理様式を、強く残
しているのが日本人であるということの証(あかし)でしょう。一音一音が明瞭
で、母音がはっきり発音されていることと共に、世界最古と言っていい古い言語
が日本語であるということが、角田先生のご研究によって一層明らかになったと
いうことだと思われます。

日本語を話すと日本人の感性が養われる。すなわち、日本語を話せば日本人に
なるということの基本が、これまで述べてきた大和言葉にあるのではないかと
筆者は考えてきました。人類言語の祖型を残している大和言葉=原日本語が、
動植物や自然と融和し易くさせる「日本人の言語の処理様式」を育んできたもの
と推測する次第です。(続く)

http://archives.mag2.com/0000149323/index.html?l=jhm03adb4a
 

胃袋と頭痛

 投稿者:  投稿日:2018年 2月 8日(木)12時18分32秒
  人間の心身の状況というものは各国で異なるものなのでしょうが、生まれ育つ国に応じてどうやら学びの課題というか、そこで育まれる色のようなものがあるのだということを実感しています。

自適さんのお話の中に胃袋と頭痛の関係性が語られている部分を見て思い出したのですが、かき氷を急いで食した際の頭痛という現象は全ての民族に当てはまるものではありませんでした。座学は必ず脇に置いて実体験のみを追いかけ続けておりますが、海外の人たちと関わる中でアイスやかき氷を食べて頭痛に悶絶しているとき、それがどうしても理解ができず「悪いことは言わないから病院へ行け!」と救急車を呼ばれそうになり、それをなだめるのに苦労したという経験があります。落ち着きを取り戻した彼らに説明をすると、ものすごく驚いて携帯電話で知り合いにそのことを伝えて、いつまでも不思議だ変だと言っていた彼らの姿が思い出されます。

日本と言う国が精神的に進んでいる、または特別で大きな役割があるという言葉による説明は非常に危険であると常日頃感じているのですが、それは人間の学びの各ステージが完璧に数学的な世界において世界中に配置されている中で、その階段を取り外してしまうかのような他国の状況の否定という意識や行為の精神的な根拠に、意識の高い方々からの言葉が便利使いされてっしまっているという事実への危機感です。そこには自らが既に人間であると胸を張って言えるような状況へと育て上げて行くという責任感や問題意識が欠けてしまっており、そこには既に既存の価値観の中で満点を取る秀才であるという自らによる演技によって、自らに人間として満点を与えてしまって前進することを忘れ、他人や他国を問題視して何かを教えようとしている姿が見えてくるような気がしています。

戦後の経済発展がその根拠となり、国際社会においてふんぞり返っている日本人の姿を見て来た中で、その日本の正当化に精神性の高さを喧伝する姿は滑稽であるだけでなく、非常に恥ずかしく正に「恥」の意識を生み出す精神性の高さを失った民族の姿であると感じたものでした。世界に配置された人間の学び舎としての国々や地域性、そしてそれが必然的に関わって行く歴史というもの。そうしたしくみが日本の国内においても同様に配されており、各地域や家庭、そして個人という存在のまとまりの単位の中に見出すことができるということを考えると、国内における学びと成長の流れ・推進力のようなものを自らが感じて、その道を人知れず進み行くことが重要なのだと感じています。これがあってこそ、そのバランスの妙味が、このフラクタルな世界において、そこかしこに自然発生する実質的な力そのものになるのだと感じるのです。

かき氷と頭痛の話のように、心身において体現されている連なりや結びの構図も、実っていない人間の内部では現象化するに至らないものであるということをつくづく感じています。胃袋と脳の関係性も、そのチャンネルが切れてしまっている場合は、食によって脳へのアクセスを図っている段階があり、その流れの中では不健康な食事でさえ、必要な刺激を与えることができるのかもしれない...。心身のしくみのダイナミックさは、全ての穢れすら利用する懐の大きさなのでしょうか?こうしたダイナミズムを実感できる日常に生きる人間というものは、大手を振って自らの至らなさという贈り物を利用しながら、大いなる健全性に向かってゆける。そうであるとするならば、国際社会そして他人というものに対する不健全性に対する不安視・問題視というものがナンセンスなものとなり、それぞれの人間が自分という必然性の上に自己を育て上げるということに完全に注力して行けるようになるのだということを日々実感しています。国際社会において、健全性の現れる「かたち」が各国で異なっている中で、そこに顕現している学び舎における体験に感謝することはあっても、問題視して日本人の優位性を語るというようなことは恥ずかしいと感じる感性は無くしたくはないものです。

 

6500万年前に落ちた巨大隕石がもし1時間ずれていたら

 投稿者:自適  投稿日:2018年 1月26日(金)10時23分56秒
  6500万年前に落ちた巨大隕石がもし1時間ずれていたら、今も恐竜が地球を支配していた
2014年5月8日 6時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/8809490/

週プレNEWS

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世界的な地球物理学者である松井孝典(たかふみ)教授たちの研究グループが先月、科学誌ネイチャー(*1)に発表した論文が、国内外で大きな話題となっている。地球史における大きな謎とされてきた出来事(後述)を、完全に解明したのである。

一連の“小保方騒動”で日本の科学の信頼性が揺らいだと憂いてる人もいるが、そんな心配をしても時間の無駄。松井教授ご本人に、彼らの最新研究の何がスゴイのかを聞いてみた。

今から言っておくけど、この後、松井教授が語る話は、「ほんとにそんなことってあるの???」と叫びたくなるようなものばかりだ。

(*1)より厳密にはネイチャーの地質学部門『ネイチャー ジオサイエンス』誌

■猛烈な酸性雨が生物を絶滅させた

―いきなり論文の内容を説明していただいてもついていけないと思うので、前提のところからお聞きしますね。あと、素人でもわかるよう、ざっくり話してくださると助かります。ざっくりしすぎなくらいがいいです、週プレなので。

松井 わかりました(笑)。

―まず、恐竜が絶滅した原因が6500万年前の巨大隕石であるというのは、最近の科学界ではもう定説なんですよね。

松井 そうですね。今のユカタン半島(メキシコ)のあたりに、直径10kmから15kmの隕石が衝突しました。

―突然、東京都心と同じサイズの隕石が落ちてきたと。

松井 われわれの計算では、秒速20~30キロで衝突し、高さ300mの津波が発生しています。

―東京タワーの高さの津波!

松井 そして津波は浅い海では高さをさらに増すから、1000mを超える津波に襲われた地域もあったはずなんです。

―すでに想像を絶する光景ですね。でもなんで「6500万年前の隕石」とわかるんですか?

松井 そのときできた地層は「K/T境界層」と呼ばれますが、それは世界中で発見されているし、地層の年代特定も難しくない。

そして「K/T境界」にある粘土層は、イリジウムという物質を大量に含んでいます。イリジウムは地殻には極めて少ないけど、隕石には大量に含まれる物質です。それでこの地層が、「6500万年前の巨大隕石衝突の際にできた」と結論づけられたわけです。1990年代には、ユカタン半島の地下に直径200kmのクレーターがあることも確認されています。

―そこまで証拠はそろったんですね。

松井 これだけ巨大な天体衝突が起きると、衝突地点周辺には爆風や高温の蒸気雲が発生し、先ほど話した巨大津波も起きる。衝突による破片は宇宙空間に達し、それが大気に再突入するとき大気を加熱する。

その後、大気中に巻き上げられた大量の塵や、森林火災による煤(すす)が地球全体を覆って太陽の光を遮り、今度は寒冷化の時代に入ります。こうした環境の激変によって多くの生物は死に絶えたでしょう。しかし、海中の有孔虫(プランクトン)のほとんども死滅した理由は説明できていなかったんですよ。

―なぜプランクトンが、そのとき激減したとわかるんですか?

松井 それは簡単。プランクトンの化石はどの地層にもたくさん含まれているから、地層を調べて比較すればいい。「K/T境界」の前(白亜紀)と後(第三紀)では、地層に含まれる有孔虫の化石の数が全然違うんです。

―ああ、なるほど。

松井 この問題を科学的に解明したのがわれわれのグループ論文で、だいたい次のようなメカニズムです。ユカタン半島は主に石灰岩と石膏でできていて、そこに巨大な隕石がものすごい速度で衝突した。そのエネルギーで大爆発が起き、石膏の岩石のなかの成分が蒸発してSO3(三酸化硫黄)になり、激しく大量の酸性雨を地球全土に降らせた。

それによって海水が酸性化し、有孔虫の石灰(カルシウム)の殻も溶かされ、ほとんど死滅したと。だからこの論文の重要性は恐竜絶滅の話じゃなくて、有孔虫のほとんどが絶滅したメカニズムを説明したところなんだけど、「プランクトン絶滅」といっても一般の人には地味らしく(笑)、報道では恐竜絶滅の原因が解明、とされたようです。もちろん海中のプランクトンは食物連鎖の根幹だから、そこは非常に強い関係があるけども。

―ということは、隕石がユカタン半島に落ちたってことが、恐竜たちの運命を決めたと?

松井 例えば飛んできたのが1時間遅くて、別の場所に落ちていたら、例えばアメリカ大陸に落ちていたら、そこは石灰岩と石膏もないから大量の酸性雨も降らず、これほどの大量絶滅は起きなかった。

―恐竜も生き残れたと。

松井 そうですね。

―もし今も恐竜が生きていたらどうなっていたんでしょう?

松井 恐竜人類がいたかもしれないよね。われわれホモサピエンスはいなかったでしょうし。

―恐竜人類! もしいたら、どれほどの賢さだったんでしょうか。というのも、恐竜って2億年も地球の支配者だったけど、その間ずっと、いわゆる“恐竜”だったじゃないですか。もしそこで生き延びても、その後の6500万年でどれだけ進化を遂げられたのかな? 例えば今の人類のような文明を築けていたと思いますか?

松井 そこはなんとも言えませんが、今の話につなげると、私は今、生物進化におけるウイルスの役割にも注目しているんですよ。

―ウイルスによる生物進化?

松井 ダーウィニズム(ダーウィン進化論)はわかるでしょ?

―突然変異が起き、そのなかで環境に適したものが生き残り(自然淘汰)、その繰り返しが進化を生むという考え方ですよね。

松井 ダーウィニズムでは、遺伝子は親から子へ“垂直方向”に伝わっていきます。それに対して「ウイルスによる進化」は、遺伝子がウイルス感染によって“水平方向”に種全体に広まっていくという考えです。

―確かにダーウィン進化論だと変化は少しずつ少しずつだけどウイルス感染なら種全体にパーッと変化が広がりますね。しかしあり得るんですか、そんなこと?

松井 ウイルス感染で遺伝子レベルの変化が起きる場合があることは、すでにわかっています。この数年のウイルス研究の発展はものすごいんですよ。また、ヒトゲノムのなかに、ウイルスがもたらした遺伝子が混ざっていることもわかった。ウイルスと生物進化の関係は、まだまだこれからだけど非常に興味深い分野です。

―ではもしも恐竜が生き延びていたら、どこかで突然、ウイルスによって一気に進化した可能性もあるんですね……。

松井 われわれホモサピエンスも、ウイルスによって進化した可能性だってあるわけです(*2)。

(*2)インタビュー中の「ウイルスによる生物進化」に興味をもった読者には同じく松井教授の『生命はどこから来たのか?(』文春新書)がオススメです

■「時空のスケール」を広げて考える

―隕石が地球の環境を激変させたり、ウイルスが生物進化を早めたり……。地球や生物の歴史における大変化って、なんだかすごいものが突然「外側」からやって来たことで起きているような気がしてきたんですが。

松井 ちょっとだけ概念的な話をすると、地球や生命の歴史を考える際、これまでの科学は「今起きている自然現象」の延長で過去をとらえてきたわけです。これを「斉一(せいいつ)説」と呼びますが、それに対して天変地異のような「突然、地球の外からもたらされる大変化」を私は「激変説」と呼んでいます。

例えば、この100年の津波をどんなに研究したって、3・11に起きた1000年に一度の津波のことはわからないでしょ。だから科学はもっと「時空のスケール」を広げてモノを見ないとダメだと私は考えています。

つまり今の尺度で過去をとらえるのでなく、尺度を過去にまで広げて過去を考える。われわれの経験を超えた天体衝突を研究することは、そうしたパラダイム転換をもたらします。

―地球の歴史を考える際も、地層の研究だけでなく、宇宙のことも考えるってことですね。

松井 「地球の外から」という意味では、最近、「スリランカの赤い雨」の話もおもしろいですよ。

―赤い雨? 赤色の雨ですか?

松井 色のついた雨というのは、比較的ある話なんです。火山噴火の後、茶色や黄色の雨が降ったり、原爆の後に黒い雨が降ったり。

―広島の原爆の後も「黒い雨」が降ったといいますね。

松井 「赤い雨」も3000年に及ぶ記録がありますが、21世紀に入ってからはインドとスリランカで“血のような雨”が降っています。それで、私の友人でスリランカ出身のイギリス人科学者がその雨を調べたら、なかに「細胞状物質」が含まれていた。

―雨の中に細胞?

松井 もちろん地表から舞い上がった物質の可能性もあるけど、興味深いことに、インドでもスリランカでも「赤い雨」が降る直前には隕石が落ちたり、空中で爆発音が聞かれたりしているんですね。普通、隕石は大気に突入すると空気抵抗で爆発します。

ということで「赤い雨」の研究者たちは、彗星の爆発によって「細胞状物質」がまき散らされ、それが赤い雨の粒子の正体だと考えています。

―なんで隕石に細胞みたいな物質がついているんですか? 宇宙から飛んできたってことですか?

松井 その可能性もある。実は地球の生命の起源は彗星に乗って飛んできたという説は、昔からあるんです。しかし科学界ではあまり相手にされてこなかった。

―まあ、そうでしょうねえ。

松井 でも「赤い雨」の正体が宇宙から来た細胞状物質の可能性があるなら、やはりちゃんと調べてみないといけない。

―なんだか無限に話が広がっていきますね。「1時間隕石が遅れていたら恐竜は今も生きていた」って話だけでもくらくらするのに、ウイルス進化とか、宇宙から飛んできた生命の起源とか。

松井 「時空のスケール」を広げて考えるというのはそういうことです。でも大事なのは、考える手続き自体はあくまでも「サイエンス」でなくてはならない。

―「時空のスケールを広げる」って、なんか人生観や価値観にも影響与えそうな言葉ですよね。

松井 そりゃそうですよ。今の自分がいる世界の「外側」には必ず発見があるんだから。だから私は毎日が楽しくてしょうがないです。

(イラスト/Thinkstock)

●松井孝典(まつい・たかふみ)

1946年生まれ、静岡県出身。理学博士。専門は地球物理学、比較惑星学、アストロバイオロジー。「アストロバイオロジー」は、まさにインタビューで語られていたように「宇宙スケールで地球の生物を考える」ために松井氏が提唱する新たな学問分野。NASA研究員、マサチューセッツ工科大学招聘科学者、マックスプランク化学研究所客員教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て同名誉教授。2009年4月より千葉工業大学惑星探査研究センター所長
 

紙コップでホットコーヒーを飲むと危険

 投稿者:自適  投稿日:2018年 1月 1日(月)15時42分8秒
  医学的知見で解説!紙コップでホットコーヒーを飲むと危険
2017年12月25日 06:00

尾藤 克之

太るのは、「食べすぎ」「運動不足」が原因ではなかった。「オビソゲン」が、太る本当の原因だということが、近年の研究で明らかになった。「オビソゲン」とはホルモンや代謝などの機能を損ねながら、遺伝子レベルで「肥満体質」に変えてしまう有害物質のことである。私たちが、普段から普通に食べて使用しているものに含まれている。

例えば、紙コップ、トイレットペーパー、薬用石鹸、フッ素加工のフライパン、お弁当、お総菜、スナック菓子、携帯・スマホなどが挙げられるが、数えればきりがない。食事制限や運動をしても、「オビソゲン」を摂取している限り安全とはいえない。さらに、「オビソゲン」を体内から排出しなければ安全とはいえない。

今回紹介するのは、『太りたくなければ、体の「毒」を抜きなさい!』(三笠書房)。著者は、機能医学・内科医の、賀来怜華医師(ウェルネスクリニック神楽坂院長)。「オビソゲン」の危険性について学術的知見から詳しく分析している。また、「オビソゲン」を含む食品、日用品を取り上げながら、健康的にやせる方法についてまとめている。
紙コップでホットコーヒーを飲むと太る

ポップな装丁とは異なり、かなり専門的な医学書である。巷にあふれる安っぽいダイエット本やデトックス本とは明らかに一線を画す内容であると考えられる。まず、本書に掲載されている内容は、すべて医学的知見から導き出されたものであり、根拠も明快で内容も具体的である。客観性かつ合理的に導きだされたことから信憑性が高い。

私たちが、当たり前のように使っている日用品にも、多くの「オビソゲン」が潜んでいる。たとえば、コーヒーショップやコンビニでホットコーヒーをテイクアウトする。この何気ない行動も、「オビソゲン」を体内に取り込むリスクをはらんでいる。店内で飲まない場合、たいていは紙コップで持ち帰る。この紙コップが問題だった。

「水に弱い紙では、熱々の水分に耐えられる容器はつくれません。そこで耐熱・防水コーティング剤が使われるわけですが、その成分がビスフェノールA(BPA)というプラスチックです。ビスフェノールAは、糖尿病リスクを高めます。血糖値の調整と糖代謝に関わるインスリン分泌を狂わせ、肥満から糖尿病を招くためです。」(賀来医師)

「現に、糖尿病の患者さんからビスフェノールAが検出されるケースは多いです。ビスフェノールAは、卵巣にも影響を与え、不妊症や月経不順につながる多嚢胞性卵巣症候群にかかりやすくなります。近年、多嚢胞性卵巣症候群の患者数は増えており、『オビソゲン』など毒と関連する現代病と言えます。」(同)

賀来医師によれば、紙コップのプラスチック製のフタに「PS」と刻印されているが、これは、「ポリスチレン」の略。これも「オビソゲン」である。また、コーヒーフレッシュは生クリームではない。酸化しにくい油脂を混濁させて、ミルク風の香りをつけただけのもの。飲むときには「オビソゲン」が溶け出していると考えなくてはいけない。

「マドラーには木製もプラスチック製も、どちらもいけません。木製にも、防カビ剤、亜硫酸塩、漂白剤が使われています。これらは、『オビソゲン』としてのエビデンスがまだ乏しく、認定を受けていないものもありますが、体に有害なことには違いありません。使い捨て製品はリスクが高いと考え、極力、使用を避けてください。」(賀来医師)

賀来医師の見解を整理しよう。次の4つのポイントを覚えておきたい。この行動を実践することで、「オビソゲン」のリスクをだいぶ抑えることができるようだ。

(1)紙コップでなく、マグカップで出してくれるコーヒーショップを見つける。
(2)持ち帰る場合は、ステンレスのタンブラーを持参する。
(3)店に備えつけのコーヒーフレッシュやマドラーは、使用しない。
(4)アイスの飲み物も、ストローは使わず、店内でガラスのコップで飲む。
慢性疾患は「環境因子由来」である

地球には、現在7万種もの環境化学物質が存在する。毎年2000種もの新たな化学物質が加わり、赤ちゃんのへその緒からは平均200種もの有害物質が見つかっている。

賀来医師は、「肥満をはじめ、糖尿病、高血圧、過敏性腸症候群、アトピー、不妊症などなど、将来病気にかからないのが不思議なくらいの環境」であると現状を分析する。その一方で、「原因となる環境因子の対策を講じさえすれば、肥満から始まる病気の予防、不調の治癒など、その効力は計り知れない」とも論じている。

本書は、現状を認識した上で、人間がもつ本来の機能・治癒力を取り戻し、その結果として「太りにくくなる」という論理構成に仕上がっている。肥満物質の「オビソゲン」から始まり、日常生活における様々な事象についての記述もわかりやすい。世界の主要な国際学会でも数多くの招待講演や議長を務める現職医師の、注目すべき作品である。

尾藤克之
コラムニスト

追記(2017年12月28日)

本記事に対して、オビソゲンになじみが無いという質問があったため、出版社、著者と協議のうえ、次のとおり、関連情報とエビデンス等について追記する。

1.賀来怜華医師のプロフィールを以下に記す。
<賀来怜華医師プロフィール>
東京都生まれ。ウェルネスクリニック神楽坂院長・内科医 1997年、英国ロンドン大学医学部大学院卒業。英国王立内科学会認定医。米国アンチエイジング医学学会認定医(米国A4M)。欧州アンチエイジング医学学会専門医(フランス),米国先端医療学会解毒治療認定医(米国ACAM)。肥満や病気の大元の原因を追求し、損傷した部分を修復しながら、根本的な解決をする「機能治療」「天然ホルモン療法」を駆使し、慢性の難病を改善するクリニックを主宰。
『ウェルネスクリニック神楽坂HP』
クリニックHPでは専門医のキャリア、学会等の公的機関の講演を記載している。

2.以下は、書籍内のオビソゲンに関する説明箇所。
書籍内では全般的にオビソゲンに関する詳細な情報を記載しているが、一般的にわかりやすい部分は、本文P11~12、P17~18となる。

3.エビデンスについて
本書の参考文献は、本文P244~245に記している。

本書は、学術論文や調査報告書ではない。学術雑誌に掲載する論文であれば、審査するにふさわしい外部研究者(査読者)に原稿を送り、改善すべき点や疑問点についてのレポート執筆を依頼する。さらに、掲載に値するかその可否について問うことがある。

しかし、本書はビジネス書である。著者の過去の経験や実績を踏まえ、膨大な情報から一般読者に役立つものを選定し編集している。つまり、長年研究して判明したことを論理的に証明した構成である。筆者も、書籍の特徴的な要素を抽出し本の内容が伝わりやすいように記事にしている。その内容は、書籍の内容を逸脱していない。

オビソゲンに理解を深めたいのであれば、本書参考文献を読まれることをおすすめする。なお、英文でのオビソゲンに関する情報はいくつかあるので参考までに提示する。

その他(参考文献に含まれないオビソゲン情報)
https://ehp.niehs.nih.gov/121-a96/
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3279464/

以上
 

世界の言語は、一つにするべきかどうか…

 投稿者:自適  投稿日:2017年12月13日(水)19時40分20秒
  林英臣の元氣メール第1044号「世界の言語は、一つにするべきかどうか…」

◇文化の多様性は、言語の多様性が支えてきた◇

言語の消滅問題を話題に上げますと、「自然に減るものは仕方ない。むしろ言語
は一元化したほうがいい。世界の言語が一つになれば、外国語を学ぶ必要がなく
なり、意思疎通が楽になる」という意見が必ず出ます。「言葉は単なる意思伝達
の手段に過ぎない」と思っている人ほど、そういう考え方を唱える傾向にある
ようです。

確かに意思疎通だけ考えたら、言語が一つだけのほうが便利でしょう。学校の
勉強も楽になります。でも言語には、先にも述べたように、文化や生活を伝承
するDNA(遺伝情報の本体)としての大切な役割があります。だから、世界
の言語を一つにし、それ以外の言語を全て捨ててしまうようなことをすれば、
それぞれの国家・国民に伝承されていた固有の文化は消滅への道を辿る以外に
なくなります。

そもそも文化は、多様であるところに価値があります。一面的で内容に乏しけれ
ば、豊かさかに基づく味わいというものが無くなります。旅をして観光する魅力
も乏しくなるでしょう。

文化の多様性は、明らかに言語の多様性が支えてきたのです。その言語を話す
ことによって身に付けられる「ものの見方や考え方、感じ方、行い方」という
ものがあり、それらが国ごと・地域ごとに異なっているのは、言語が多様である
からに他なりません。

ところが、大航海時代以降、西洋人が世界中に進出し、ポルトガル語・スペイン
語・英語・オランダ語・フランス語など、西欧の言語が地上を覆い尽くしまし
た。その結果、元々その土地に住んでいた人たちが話していた言語が、次々消え
てしまう運命となったのです。先住民族の伝統文化が滅びていくのは必然のこと
でした。

◇言語の多様性は、生物の多様性を守る基盤ともなる◇

雪と氷に覆われた極地に住むイヌイットですが、何と20種類以上の「雪」を
表す言葉(語幹となる単語)を持っているそうです。それは、白銀の世界の中で
生き抜く力を発揮するためであることは言うまでもありません。今、目の前で
降っている雪が1時間後にどうなるか、明日になればどこまで積もっているか、
などについての情報の獲得は、雪を表す言葉が多いほど的確になるはずです。
「白」を表す言葉も多いようですが、これも同じ理由です。こうして、その土地
の言語には、その土地で暮らす人たちの生活を守る働きがあるということが分か
ります。

それから、言語の多様性は、生物の多様性を守る基盤にもなっています。海に
暮らす民が話す言語には、魚など海に棲む生物を表す言葉が多く、どの魚を・
どの時期に・どの程度捕獲したらいいかを習得させる働きがあるとのことです。
また、山に住む民が用いる言語には、植物や土壌に関する情報が多く含まれて
いて、植物と環境を守る上での知恵が身に付くようになっていると。当然と
いえば当然ですが、言語と生活は密接に関連しているのです。

つまり、人類は言語によって、与えられた場所で生き抜いていくための能力を
継承してきたと同時に、その環境と、そこに育つ生命を守ってきたのです。
先住民が話していた固有の言語が消滅すれば、先祖伝来の生活が死に、合わせ
て環境破壊が進むというわけです。実際、地図を眺めれば、固有の言語が消滅
して伝統の生活が途切れてしまった地域と、環境破壊が進んだ地域が重なって
いるのです。

従って、言語の一元化は間違いと言わざるを得ません。言語が多様であるほど
「地球人類体」(地球と人類は一体であることを意味している村山節先生の
造語)が安定し、その生命力が高まります。言語の単一化よりも、互いの言語と
文化を尊敬し合うことのほうが、はるかに大事だと思う所以(ゆえん)です。
(続く)
 

安倍独裁制 本当の正体

 投稿者:自適  投稿日:2017年11月17日(金)14時28分39秒
  衆院選 知の巨人・内田樹氏 至極真っ当な提言! 安倍独裁制 本当の正体

2017年11月14日

Texts by サンデー毎日

    サンデー毎日

記者会見で今後の政権運営などについて述べる安倍晋三首相=首相官邸で2017年11月1日午後9時10分、山崎一輝撮影

▼私たちを支配する特異な「民主主義」

▼日本社会全体が「株式会社化」している

 総選挙が終わって約3週間が過ぎた。当初は「安倍政権への信任投票」などと喧伝(けんでん)されたが、いつの間にか希望の党と立憲民主党ばかりが俎上(そじょう)に載せられる戦いになっていた。この総選挙は一体、何だったのか? 現代の知の巨人・内田樹氏(67)が論じる。

 総選挙の総括として本誌からかなり多めの紙数を頂いたので、この機会に言いたいことを歯に衣(きぬ)着せず全部書いてみたい。読んで怒り出す人もいると思うけれど、ご海容願いたい。

 総選挙結果を見て、まず感じたのは小選挙区制という制度の不備である。比例区得票率は自民党が33・3%。議席獲得数は284で、465議席中の61・1%だった。立憲民主・共産・社民の三野党の比例得票率は29・2%だが、獲得議席は69で14・8%にとどまった。得票率と獲得議席配分の間には明らかな不均衡が存在する。

 初期入力のわずかな違いが大きな出力の差を産み出すシステムのことを「複雑系」と呼ぶ。代表的なのは大気の運動である(「北京での一羽の蝶(ちょう)のはばたきがカリフォルニアで嵐を起こす」)。株式市場における投資家の行動も、小選挙区制度もその意味では複雑系のできごとである。現に、カナダでは1993年に行われた下院総選挙で、与党カナダ進歩保守党が改選前の169議席から2議席に転落という歴史的惨敗を喫したことがあった。

 政権交代可能な選挙制度をめざす以上、「風」のわずかな変化が議席数の巨大な差に帰結するような複雑系モデルを採用したというのは論理的には筋が通っている。私たちは「そういう制度」を採用したつもりだった。株価が乱高下するように議席数が乱高下する政治制度の方が好ましいと多くの日本人は思ったのである。だが、導入して20年経(た)ってわかったのは、小選挙区制は複雑系ではなかったということである。今の日本の小選挙区制は、わずかな変化は議席獲得数には反映せず、政権与党がつねに圧勝する仕組みだったからである。なぜ、複雑系として設計されたはずのこのシステムが決定論的なシステムとして機能するようになったのか?

 それは低投票率のせいである。有権者の選挙に対する関心が希薄で、投票率が低ければ低いほど、巨大な集票組織を持ち、既得権益の受益者たちから支持される政権与党の獲得議席は増える。そういう仕組みだということはこれまでもメディアでしばしば指摘されてきた。だが、その先のことはあまり言う人がいない。それは、そうであるとすれば、今の選挙制度下では政権与党の主たる関心はいかに無党派有権者に投票させないかにあるということである。論理的に考えれば、それが正解なのである。かつて「無党派層は寝ていて欲しい」と漏らした首相がいた。正直過ぎる発言だったが、言っていることは理にかなっている。それゆえ政権与党は久しくどうやって投票率を下げるかにさまざまな工夫を凝らしてきた。そして、彼らが発見した最も有効な方法は「議会制民主主義はもう機能していない」と有権者に信じさせることだった。
安倍政権による「印象操作」

 今回も「積極的棄権」を呼びかけた知識人がいた。彼は「議会制民主主義はもう機能していない」という痛苦な現実を広く有権者に知らしめようという教化的善意からそうしたらしいが、「議会制民主主義はもう機能していない」と有権者が信じることからも最も大きな利益を得るのが政権与党だという事実を見落としていたとしたら短見と言う他ない。

 事実、「立法府は機能していない」という印象操作に安倍内閣ほど熱心に取り組み、かつ成功した政権は過去にない。質問に答えず、はぐらかし、詭弁(きべん)を弄し、ヤジを飛ばし、法案内容を理解していないので野党議員の質問に答えることのできない大臣を答弁に立たせ、審議時間が足りたと思うと殴り合いと怒号の中で強行採決をした。臨時国会の召集要請に応えず、野党の質問を受けるのが嫌さに国会を解散し、選挙後の特別国会では所信表明も代表質問もなしにいきなり閉会しようとした。これらの一連の行動は与党の驕(おご)りや気の緩みによってなされたわけではない。そうではなくて、「国会は実質的にはほとんど機能していないので、あってもなくてもどうでもよい無用の機関だ(現に国会閉会中も行政機関は平常通り機能していたし、国民生活にも支障は出なかったではないか)」という印象を国民の間に浸透させるために計画的に行われているのである。

 同じ配慮はこれまでも議員の選考においても示されてきた。固有の支援組織を持ち、それなりの政治的見識を持っているので党執行部に抗(あらが)うことができるような気骨のある政治家は遠ざけられ、代わりに執行部の「面接」を受けて、その眼鏡にかなったサラリーマン議員たちが大量に採用された。彼らは執行部に選挙区を割り振られ、資金も組織も丸抱えの党営選挙で議員になった。だから、執行部に命じられるまま立ったり、座ったり、野党の質問にヤジを飛ばしたりする「ロボット」であることに特に不満を抱いていない。同じことは他の野党にも見られる。維新の会も都民ファーストも、当選した議員たちはメディアのインタビューに個別に答えることを禁じられていたが、多くの議員はそれに不満を抱いているようには見えなかった。「議員は個人の政治的意見を持つ必要はない。いかなる政策が正しいかを決定するのは上の仕事である」という採用条件を知った上で就職した政党「従業員」としては、それが当然だと彼らが信じていたからである。

 立法府の威信は、このような粘り強い掘り崩しによって著しく低下した。立法府が「国権の最高機関」としての威信を失えば、行政府の力が強まる。今、子どもたちに「国権の最高機関は?」と訊(たず)ねたら、ほとんどの子どもは「内閣」と答えるだろう。現に、安倍首相は昨年の衆院予算委員会で野党委員の質問に対して「議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」と発言した。のちにこれは「行政府の長」の言い間違いであるとして、議事録から削除されたが、フロイトを引くまでもなく、こういう「言い間違い」のうちに人の隠された本心が露呈する。首相は単独過半数を擁する政党の総裁であるわけだから、通したい法案は通せる。だから彼が「自分は行政府の長であり、かつ立法府の長でもある」と内心では思っていたとしても不思議はない。しかし、それでもこの「言い間違い」が含意している政治的な意味について、日本のメディアはあまりに無頓着だったように思う。
安倍首相を「独裁」とする理由

 今さら定義を確認するまでもないが、立法府は「法律の制定者」であり、行政府は「法律の執行者」である。この二つが別の機関であるような政体を「共和制」と呼び、法律の制定者と執行者が同一である政体のことを「独裁制」と呼ぶ。安倍首相は「私は立法府の長である」と口走った時に「日本は独裁制である」と言い間違えたのである。普通なら政治生命が終わりかねないほどの失言であり、後からこっそり議事録を書き換えて済む話ではない。

 けれども、メディアも有権者もそれを咎(とが)めなかった。それは首相自身と同じように人々もまた「立法府は行政府の長が実質的には支配している」と実感していたし、「それで何が悪いのか?」と思う人さえたくさん存在していたからである。

 自民党改憲草案の「目玉」は緊急事態条項であるが、これは平たく言えば、民主的手続きによって独裁制を成立させる手順を明記したものである。

 草案によれば、内閣総理大臣は「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」に際して緊急事態の宣言を発することができる。緊急事態が宣言されると、憲法は事実上停止され、内閣の定める政令が法律に代わる。衆院選挙は行われないので議員たちは宣言下では「終身議員」となる。つまり、発令時点で与党が過半数を占めていれば、国会が承認を繰り返す限り、宣言は半永久的に延長できるのである。そのような宣言の無制限の延長は不当だという国民の声は議会外でのデモやストで表示するしかないが、そのような行為そのものが「社会秩序の混乱」として緊急事態宣言の正当性を根拠づけることになる。

 そういう出口のないループに日本国民を閉じ込めるために緊急事態条項は整備されているのである。だが、このように「独裁制への移行」が着々と準備されていることに対して、国民の反応はきわめて鈍い。それどころか先に述べたように「独裁制で何が悪いのか?」と不思議がる人がもう少なくない。今回の選挙でも、若い有権者たちが自民党に好感を持つ傾向があることが指摘された。それは自民党が作ろうとしている独裁制社会が彼らにとって特に違和感のないものだからである。

 若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない。トップが方針を決めて、下はそれに従う。経営方針の当否はマーケットが判定するので、従業員は経営方針について意見を求められることもなく、意見を持つ必要もない。それが、彼らが子どもの時から経験してきたすべての組織の実相である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だったのだから、彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても誰も責めることはできない。

 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、リーダーは仲間の中から互選され、その言動についてつねにきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今時の若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、彼らが「そんな空想を信じるなんて、あんたの頭はどこまで『お花畑』なんだ」と冷笑するのは当然なのである。

 以上が総選挙結果を見て感じたことである。政権与党の目標は、さしあたり国会は立憲デモクラシーのアリバイ作りのための空疎なセレモニーの場であり、議員たちは「選良」というにはほど遠い人物ばかりであるという印象を国民に刷り込むことである。これは日々成功し続けている。そうして立法府の威信は崩壊し、行政府への権限集中に対する国民的期待が高まる。そういう文脈の中で見ると、安倍政権のすべての行動が周到に準備されたものであることがよくわかるはずである。
国会の威信回復のために改革を

 さっぱり希望のない総括だが、原因がわかれば対処のしようもわかる。立憲デモクラシーを守るために私たちがまずなすべきことは立法府を良識の府として再興することである。国民の代表者がその知性と熱誠を賭して国事を議す場としての威信を回復することである。そのためには国会の威信をいたずらに貶(おとし)めている制度の見直しが必要である。

 第一に、政党の得票数と議席数が相関するような仕組みに選挙制度を改めること。第二に、首相が任意の時に「国民を代表する選挙された議員」を失職させることができるという憲法違反の7条解散を廃し、解散条件を憲法69条に定める通り、衆院で不信任決議案が可決されるかまたは信任決議案が否決された場合に限定すること。この二つは立法府再興のために必須である。

 以下は努力目標。一、「国会は機能していない」というのは事実認知的言明であるが、それと同時に「だから選挙なんかしても無駄だ」という遂行的なメッセージをも発信することだということを周知させること。二、「すべての社会制度は株式会社のように組織化されるべきだ」というのは理論的には無根拠で、実践的には破綻しかけている一つのイデオロギーに過ぎないことを明らかにすること。「株式会社モデル」は営利目的の組織には適用できても、存続することそれ自体が目標であるような集団(親族や部族や国家)には適用できない。三、人々が対話を通じて意見をすり合わせ、合意形成し、採択した政策については全員が責任を持ってそれを履行するという社会契約は戦後日本社会にはついに根づかなかったという痛ましい歴史的事実を見つめること。そして、立憲デモクラシーという社会契約を日本社会に根づかせる事業は未了であるどころかある意味でまだ始まってさえいないと認めること。立憲デモクラシーの再興(というより起動)にはそれだけの手間と時間をかけるしかないのである。私が今言えるのはこれくらいである。

(内田樹)
うちだ・たつる

 1950年、東京都生まれ。思想家。武道と哲学研究のための学塾「凱風館」(神戸市)を主宰。東京大文学部卒。神戸女学院大名誉教授。専門はフランス現代思想だが、論じるテーマは社会、政治、歴史、教育、宗教など幅広い。著書は『街場のメディア論』(光文社)、『街場の共同体論』(潮新書)など多数

(サンデー毎日11月26日号から)
 

◇大化改新の仕掛け人は聖徳太子◇

 投稿者:自適  投稿日:2017年 9月11日(月)20時47分53秒
  【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その32

http://www.hayashi-hideomi.com/

◇大化改新の仕掛け人は聖徳太子◇

さて、大化改新によって豪族による私地・私民が廃止され、国民には一定の田畑
が支給されることになりました(班田収授)。豪族たちの既得権益を没収する、
一種の共産主義的大改革を断行したのですから凄いことです。政治は中央集権的
な体制に改められ、新しい国づくりが進むことになりました。

そうして成立したのが、「氏姓制度の社会秩序」に替わる「律令体制の社会秩序」
です(律令の「律」は法律、「令」は制度)。この秩序は、次第に変質しながら
も、奈良時代を経て平安時代末まで続きます。

結局、氏姓制度の社会秩序から、律令体制による社会秩序へ移行する谷間(過渡
期)の前半に、改新政治の基盤を創ったのが聖徳太子だったのです。大化改新を
仕掛けたのは、ほかならぬ聖徳太子であったということが、よくお分かり頂ける
と思います。

大化改新のブレインとなった3名の留学生ですが、3名とも大陸から渡来した
人々の子孫でした。異国出身の先祖を持つ彼らが、日本のために人生を賭けて
働いてくれたことに感激します。そうさせた聖徳太子の人徳にも感動しないでは
いられません。

◇聖徳太子が不在であったという説があるが…◇

ところで、聖徳太子が不在であったという説があります。その理由は、諸文献の
記述に見られる不正確さにあるようですが、何しろ古い時代のことですから、
はっきりしない点があっても仕方の無いことです。

もしも聖徳太子が不在ならば、太子の行った政策の一つ一つを、どこの誰が考え
つき、そして実行したのでしょうか。太子のような深い学問と思想、ならびに
政治家としての識見と胆力を、他の誰が持っていたかと。

転換期の危機的事態を解決するには、諸問題を綜合的に俯瞰し、問題それぞれの
核心を的確に掴み、今後の流れを見通しつつ大方針を立て、大局的に戦略を練る
ことの出来る天才的指導者が必要になります。聖徳太子のような天才がいなく
て、推古朝における諸改革が推進されるはずがありません。

方針が決まれば動けるとか、部署を与えられたら能力を発揮出来るという人は
沢山います。そういう人は、いわゆる秀才タイプです。大局を見据えて方針を
決め、綜合的に戦略を練っていくという作業になると、単なる秀才タイプでは
難しくなります。それが出来るのは、一握りの天才的指導者です。日本史上で
は、聖徳太子と織田信長と小村寿太郎が、そういうことの出来た天才的政治家
でした。(続く)
 

「蚊に刺されない情報」

 投稿者:江藤敬介  投稿日:2017年 8月13日(日)15時18分42秒
  2017/8/12
「蚊に刺されない情報」  引用記事


「足消毒で蚊に刺されない」発見したスーパー高校生の現在

8/12(土) 11:01配信

女性自身

「足消毒で蚊に刺されない」発見したスーパー高校生の現在


田上くんの研究はまだまだ続いている。


ブ~ン……。この季節になると、うっとうしいのが蚊。「私って刺されやすい……」と悩む人も多いだろう。そんな悩みを、いま1人の高校生が救おうとしている。

「妹が、蚊のアレルギーがあって、刺されると赤く腫れてしまうんです。なんとかできないかと、中学3年生のときに“実験”を始めました」

そう、目を細めて笑うのは、京都教育大学附属高校3年の田上大喜くん(17)。どんな実験をしているのか本誌記者がたずねると、田上くんの口から流れるような解説が。

「蚊は、メスだけが人の血を吸います。そのなかで、ヤブ蚊として一般的なヒトスジシマカを採集し、どんな匂いが好きなのか調べるため、妹の帽子や衣類など、いろんなものの匂いを嗅がせてみました。そしたら、靴下に蚊が特別な反応をみせたんです!」

妹の千笑さん(15)がはいた靴下を近づけてみると、蚊が何度も交尾を始めたという。いままでとは違う蚊の反応に、田上くんは大喜び――。でも、いったいどういうこと?

「つまり、蚊は妹の“足”に引かれて、血を吸いたくなるということがわかったんです。自然界では、蚊は一生に1度しか交尾をしないといわれています。妹の靴下に反応してメスが集まり、そこにオスが引き寄せられ、何度も交尾が行われた――それほど蚊を興奮させる“何か”が、靴下にはあったということです」

ここからヒントを得て、田上くんはさらに実験を続けた。

「ウチで足が最もにおうのは父で、妹の足は全くにおいません。それなのに、なぜか家族では妹ばかりが蚊に刺される。そこで、高校2年生のとき、妹や同級生の足の菌を採取し、培養してみました。すると、妹の足にある“常在菌”の種類が多いことが判明。メスの蚊は、足がにおう人ではなく、足の常在菌の種類を多く持つ人の血を吸いたくなることがわかりました」

この研究により田上くんは、筑波大学が世界的科学者を育てるために主催する、全国の小・中・高校生の理科コンクール「第11回『科学の芽』賞」を受賞した。将来、蚊に悩む必要がなくなる可能性もあると、世界中の科学者たちの関心を集めているという。そんな“蚊博士”田上くんが、蚊を寄せ付けない対策法も教えてくれた。

「妹の足首から下をアルコールで消毒したら、蚊に刺される数が、3分の1に減少しました。これは足の裏や指の間を石けんで洗うだけでも同じ効果があります。また、靴下を新品なものにはき替えるだけでも刺される数は激減しました。山椒や酢、アロマで使われるティーツリーオイルの匂いにも、蚊よけの効果が。蚊が苦手とする成分があるようです」

これだけでも大発見だが、田上くんの研究はまだまだ続いている。

「人の皮膚にすんでいる数ある常在菌のなかでも、蚊が好む菌を特定してみたいです。また、僕が実験しているヒトスジシマカは、足の常在菌に反応しますが、日本にいるオオクロヤブカはお尻の匂いだったり、オーストラリアの蚊は頭の匂いだったり、蚊の種類によって反応するものが違います。もっと蚊のことを知りたいです」

実験道具は、お年玉から費用を捻出。常在菌を培養する“培地”を手作りしたり、ペットボトルを再利用して実験をしているのがスゴイ!受験生にとって大事な高3の夏だが、田上くんはやっぱり“蚊中心の生活”。

「蚊は、夏の深夜0~2時に活発に動くので、その時間に蚊の実験をしなければいけません。そのため受験勉強は、昼間に。両立は大変ですが、蚊が大好きだからしかたありません。できれば大学は医学部に行って、蚊の実験を続けながら、人間の皮膚についても研究もしてみたいです」
.
 

大宇宙創成の「造化三神」

 投稿者:自適  投稿日:2017年 8月13日(日)13時25分7秒
  ◆先祖の集大成が子孫、師匠の集大成が弟子…◇

※霊感について触れています。非科学的な話の嫌いな方は、どうぞスルーして
下さい。

子孫というものは、先祖の“乗り物”のようなものだ。多くの先祖の念子や
遺伝子を受けて、子孫は今を生きている。まさにご先祖の集大成が、この自分で
ある。

学問や芸能の場合も同様だ。弟子は師匠の乗り物となって、学統や伝統を受け
継いでいく。

子孫も弟子も、先人が到達した所をスタート地点として、そこから先へ進化させ
ていくことが使命となる。大宇宙が生成発展している以上、人類の諸活動も、
世代を重ねる毎に向上するのがカムナカラ(自然)な姿だ。

私は、浅学ながら、大和言葉や文明論の師匠の教えを受け継いできた。また、
非力ながらも、松下幸之助の志を引き継いできた。

最近、ある弟子の娘さん(小学生)に変化が起こって霊感が開発されてきた。
その子が林の講義に参加してくれた。そして「林先生の先生がね、ワシのイスが
無いって怒っているよ」と言う。「その先生は、この人ですか」と、松下幸之助
翁の写真を見せたら、目をくりくりさせて深く肯いた。

その子は私の後に来て、大きな三角形を示し、その頂点にいる神様と林が
つながっていると告げた。その神様は宇宙神とのこと。

きっと三角形は、古事記に出てくる大宇宙創成の「造化三神」のことだろう。
頂点の神はアマノミナカヌシの神、言い換えれば、松下幸之助翁が拝まれていた
根源様のことに違いないと思った。

jiteki-juku@dolphin.ocn.ne.jp<jiteki-juku@dolphin.ocn.ne.jp>;

その子は、松下幸之助のことも古事記のことも、まだよく知らない。でも、素直
な感性が働くことで、核心にあたることが読めてしまうのではあるまいか。

とにかく、林が師匠の乗り物になっているなら、弟子としてこれ以上の喜びは
ない。
 

現代文明の行き詰まりを救う全体学

 投稿者:自適  投稿日:2017年 6月12日(月)12時50分6秒
  【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その14

林英臣の元氣メール第1007号

◇宇宙は、変化・バランス・安定で成り立っている◇

ヨガ修道場で学んだ哲学について少し述べておきます。沖先生は「宇宙は、変化
・バランス・安定で成り立っている」と教えて下さいました。

あらゆる物は活動し変化している。その動きはバランス維持の方向へ働く。
その結果、物事は安定に至る。が、そこで終わるのではなく、さらに次の変化が
起こる。それに対して、新たなバランスを取るための動きが生じて安定へ向かう
と。宇宙は、その繰り返しで進化しているという説明でした。

まさに病状がそうです。健康体に病状の発生という変化が起こると、体は痛みに
よって警告を発し、発熱で細菌やウイルスを退治し、吐瀉(としゃ)・排泄
(はいせつ)によって異物を追い出そうとします。倦怠感は、横になっての休息
を促します。それらは、基本的にバランス回復のために起こっている症状です。
やがて治癒すれば、体は安定を取り戻すことになります。(但し、病状という
ものは体力を消耗させ、長引けば免疫力も低下させますので、ただ放っておけば
いいというわけではありません。症状を緩和させるための適切な処置を施し
つつ、バランス回復へ向かって自然治癒力を高めていく必要があります)。

それから、沖先生は「綜合的であることの重要性」を説いておられました。
あるとき、次のような問い掛けを頂きました。「林、武道はいろいろやれ。昔の
武士は武術を綜合的に修行したが、何で綜合的に鍛錬することが大切か分かる
か?」。

私は「体を偏って使わないためですね」と答えました。沖先生は頷きながら
「そうだ、スポーツ選手には怪我と病気が多い。それは偏った体の使い方をして
いるからだ。武道なら、柔道は引く力、剣道は伸ばす力を鍛える。また、空手道
は体を引き締める運動、弓道は胸を広げる運動になる。それぞれの特徴を考慮し
つつ、武道の稽古がそのままヨガの行となるよう幅広く良くやりなさい」と
ご指導下さいました。この教えもあって、筆者は武道を綜合的に稽古するように
なった次第です。

なお、綜合性というのは、必要な事柄を偏り無く取り入れることであって、
断片的な考え方を集め、その場しのぎのやり方を細切れに行うこととは全然違い
ます。あれこれ摘(つま)み食いをし、中途半端な取り組みを繰り返している
ような、部分を寄せ集めただけの行為とは次元が違うのです。

ヨガ修道場の綜合性の実践として「全体食」がありました。根の野菜なら葉も、
葉の野菜なら根も食べる。芋なら皮も、魚なら骨まで丸ごと食べる、などという
全体を頂く方法です。これも、身体のバランス力を高めるための方法でした。

ヨガには、結ぶ・繋(つな)ぐという意味があります。心と体、自己と宇宙、
見えるものと見えないもの、陰と陽、中心と全体など、いろいろなものを結び
合わせ繋ぐことで、綜合的で一体となった世界を創造していくのがヨガの目的
です。(続く)
http://archives.mag2.com/0000149323/index.html?l=jhm03adb4a
 

東洋医学と西洋医学の違いに驚く

 投稿者:自適  投稿日:2017年 5月19日(金)12時02分3秒
  【綜學】現代文明の行き詰まりを救う全体学~連載その10

◇東洋医学と西洋医学の違いに驚く!◇

こうして筆者は、高校2年生のときに東洋文化に目覚めました。天命を知った
からには、進むべき大学をよく考えなければいけません。密教にも興味があった
ので高野山大学などの密教系の大学へ行こうか、武道の稽古に励んでいたので
国際武道大学に進もうか、あるいは日本を守るためには防衛大学を目指すべき
か、などとあれこれ悩みました。

そこで、高校の進学資料室にこもり、各大学の資料を読みふけりました。
東洋文化に関する学科を持つ大学について、いろいろ調べたのですが、どうも
ピタッと来ません。大学資料に載っている「細分化された科目」を見ると、
何かが違うと思えてなりませんでした。

そうこうするうちに、東洋を学ぶためには頭から入ったのではダメで、身体
つまり体験によって修得しなければならないという直感が働いてきました。
東洋を知識として勉強するだけでは役に立たない。東洋を一飲みするくらいの
気迫で臨み、実学として身に付けていかないと、その本質は掴めないという
インスピレーションがここでも浮かんだのです。

結論から言いますと、鍼(はり)治療や灸(きゅう)治療、指圧治療などの
東洋医学の専門学校に進学することにしました。今でこそ全国各地に鍼灸
(しんきゅう)の大学や専門学校が存在していますが、当時はまだ全国に10校
程度しかなく、目の不自由な人が行く学校という誤解がありました。目の不自由
な人が学ぶのは盲学校で、専門学校は健常者が入るところなのですが、そういう
ことすらあまり知られていなかったのです。

東洋医学の専門学校に進んだ理由に、祖母の影響がありました。祖母は、自分が
罹った病気について知りたくて医学の図鑑を購入しました。その中に小中学生が
読める「人体と保健」の図鑑があり、5歳頃の私は、絵本代わりにその図鑑を
祖母に毎晩読んで貰いました。

その影響で、人体の仕組みや医療に関する興味が生じました。そこへ高校2年生
のときに受けた「東洋を学べ」というインスピレーションが重なって、実学で
ある東洋医学の道へ進むことになったというわけです。

専門学校に入学したら、基礎医学は西洋医学が殆どでした。解剖学・生理学・
病理学・症候概論・衛生学などです。東洋医学のほうは漢方概論と経穴(けい
けつ)学くらいしかありませんでしたが、それでも東洋医学と西洋医学を比較
するには十分で、東西両医学は、こうまで基本となる概念と体系が違うものかと
驚かされました。

西洋医学は、解剖学なら人体を、病理学なら病状を、どんどん細かく分析して
いきます。いわゆる要素還元主義によって、細分化させながら生命の仕組みや
病気の原因を突き止めようとするのです。病気に注目し、患部だけ見ようとして
いる部分医学とも言えます。

それに対して東洋医学は、人体や病気だけ見るのではなく、必ず環境や季節を
考慮に入れます。人間だけ抽出するということが無いのです。また、体と心の
双方を重視する心身一如の医学ともなっています。

西洋医学・東洋医学の両者には、それぞれ長所があります。前者は診断技術や
公衆衛生、外科治療、急性症状への処置などに長けており、後者は漢方薬も
含めて生活習慣病による慢性症状に有効です。両者の長所を合わせる融合医学
が、世界中で注目されている所以(ゆえん)です。

西洋医学は病気を敵と見なして“攻撃”し、患部だけ治そうとします。それは
急性症状には効果が高いのですが、慢性病には効かなくなるという問題があり
ます。これを補うのが、全体医学の東洋医学であるという次第です。

こうしたことを鍼灸指圧の専門学校で学ぶことによって、東西医学の違いがよく
分かりました。これが、全体を観る綜學の基礎となったことは言うまでもありま
せん。

余談ですが、父は「大学に行かず、自分の意志で専門学校に行く以上、3年間
一心に勉強し、試験は必ず一番を通すこと」という条件を出しました。私はそれ
を受け止め、約束通り実技も学科も一番を通し首席で卒業しました。

なお、綜學の各論に綜医学があります。その実技に「手当て」や「いき(呼吸
法)」、「言向(ことむけ)」「笑い」などがありますが、これらも各論で述べる
所存です。(続く)

林 英臣 ホームページアドレス :http://www.hayashi-hideomi.com/

 

国会で一番論じなければいけないのは

 投稿者:自適  投稿日:2017年 3月31日(金)10時38分32秒
  林英臣の元氣メール第992号「国会で一番論じなければいけないのは…」
http://archives.mag2.com/0000149323/index.html

◆国会で一番論じなければいけないのは…◆

崩壊の原因というものは、たいてい内と外にある。それまで栄えていた体制が
滅びるとき、内が腐敗堕落して統一力を弱めているところへ、外から大きな圧力
が掛かって、あっけなく滅亡してしまうのだ。

崩壊寸前の大木と一緒で、内が弱っているだけでは、まだ倒れない。内部が
かなり腐ってきており、そこへ暴風が吹いたときに音を立てて倒壊するので
ある。

かつて3200年前の文明交代期に、それまで繁栄していたヒッタイトや
ミケーネが同時に滅びた歴史がある。文明自体が繁栄によって弱体化しており、
そこへ外から気象異変が襲いかかって「あっけない幕切れ」を迎えた。寒冷化と
多雨、それに伴う食糧不足が、周辺の異民族の侵略を招いて滅び去ったのだ。

文明というものは次第に複雑化し、人も社会も野性的な活力を失って、すっかり
軟弱化していく。とうとう繁栄の頂点に達したとき、その軟弱化が崩壊の要因と
なって消滅するのである。

21世紀の今、水も空気も土も汚れ、環境汚染は益々悪化し、動植物の種の消滅
が絶えない。人為であろうがなかろうが温暖化は進み、その一方で寒冷化して
氷河期に向かうという予測もある。

人口増と食生活の向上によって、いずれ食糧不足が発生する可能性が高まって
いる。なのに、沢山の食べ物を捨てて平気でいる。公益を忘れた経済活動は膨張
する以外に哲学を持たず、奪い合いと騙し合いによって人は不幸になるばかり
だ。

世界情勢に目をやれば、衰亡するヨーロッパに中東・北アフリカからの民族移動
が発生し、衰退するアメリカは一国主義・保護主義に走り、台頭するチャイナは
膨張を加速化させ、核を振りかざす北朝鮮は東アジア混乱の引き金と化し、中東
は世界大乱の震源地となっている。アメリカと並ぶ核大量保有国であるロシアの
動向からも目を離せない。まるで世界は、刻々と終末戦争へ向かっているのかの
ようである。

国会で一番論じなければいけないのは、いかにして日本を変え世界を救うかだ。
地方議会にあっても、近未来に起こり得る現代文明の崩壊に対して、地方がどう
市民を救うかについて協議しなければならない。政治に、人類を救うための
啓蒙力が無さ過ぎる。

21世紀は、800年毎にやって来る“今回の”文明交代期だ。その最も暴風雨
が吹き荒れるのは、2025年から2050頃と予測されている。

今こそ人類の衆知を集め、内を充実させ、外に立ち向かうことでこの大転換期を
乗り越え、地球文明を一大進化させようではないか! 超思想家、超志士、
超政治家、超経済人、超教育者らが出るときであるが、自分に出来ることは、
ちょっと探せばいくらでも見つかるはずだ。

◆外交の心得◆

1「大局を観よ!」
同レベルで相対しているだけでは、なかなか埒が開かない。相手よりも一段高い
ところに立って、全体を大呼吸してみよう。持久戦になるほど、大局に立って
いる方が議論を優位に進めていくことになる。相手国以外の国々を同時観察する
のも大局観であり、局地戦に囚われないよう、世界を一つの将棋盤や碁盤と見なし
て鳥瞰すればいい。

2「核心を掴め!」
全体を眺められたら、今度は深いところに潜んでいる問題の根っ子や、カギを
握っているキーパーソンを見つけよう。それらは、ここを押せば治るという
ツボ所となる。

3「心理戦に備えよ!」
外交は人間が行うものであり、人間は心の動物だ。常に相手の心を読み取ろうと
する努力を怠ってはならない。あらかじめ相手国の歴史や文化を学び、現状に
おける強み(長所)と弱点も知っておこう。相手には必ず困っている事や悩んで
いる事があるものだ。

そして、指導者の性格やクセ、その価値観と信念、大切にしている事、さらに
今後の狙いや欲している事なども察しておきたい。

あとは人物だ。知恵と胆力、大誠意のある人物が、どうしても必要なり。

 

極めて大事な時代~我々は文明維新を迎えている

 投稿者:自適  投稿日:2017年 1月12日(木)12時34分52秒
  ◆極めて大事な時代~我々は文明維新を迎えている◆

「世界の変化」が加速している。文明レベルでは、アメリカの衰退、
ヨーロッパの混迷、中東の混乱、アジアの不安定化が益々顕著となる。
もしもどこかで「既存の経済システム」が崩壊すれば、生活に困窮した
人々が難民化し、民族大移動が欧州ばかりでなく全世界的に発生すること
にもなるだろう。

間もなくアメリカ大統領に就任するトランプ氏は、この動揺に満ちた文明交代期
の申し子となるのかも知れない。「世界の変化」を加速させる引き金役だ。

トランプ氏に政治イデオロギーは無い。自由主義や民主主義といった西欧流の
価値観に信念を置かず、アメリカ第一主義、ビジネス第一主義、大衆迎合主義
(ポピュリズム)を基本としている。いわゆる哲学が希薄な分、恐いもの無し
である。

経済格差の広がり。これがアメリカの社会的病理となっている。かつては中間層
に属していたものの、ずるずる貧困化した白人層が増えた。不満を持った彼らの
支持があって、トランプ氏は大統領に当選したのである。

トランプ氏は、アメリカを救うと叫びながら打ち出した公約を、本当に実行
出来るのだろうか。公約に財源計画の裏打ちが無いと指摘されているが、公約が
果たせないとなれば一気に支持を失う可能性がある。

トランプ氏は、減税(連邦法人税や個人所得税)とインフラ投資でアメリカ経済
を立て直すと言う。しかし、収入(税収)を減らして支出(投資)を増やせば
当然赤字がたまる。アメリカ財政は急激に悪化しかねない。保護主義や移民排斥
も、経済活動を硬直化させる要因となって経済活動を冷やしてしまうのでない
か。

そうして、アメリカ経済の動揺が世界経済に深刻な打撃を与える。その結果、
膨張しなければ維持出来ないという「既存の経済システム」が終焉へ向かう。
極めて悲観論ではあるが、それが「世界の変化」のシナリオになってきたよう
にも思われる。

中国はどうか。トランプ氏は外交にも経済にも対中強硬路線を敷き、台湾を重視
する一方、中国を「為替操作国」に認定して中国製品の輸入関税を45%に上げ
るという。周近平はトランプ氏の言動に右往左往し、その挑発的な発言に戸惑い
を隠せない。米中があからさまに対立し、今後の世界経済の悪化を受けて中国
国内が混乱すれば、不満を外へ逸らそうとして、東支那海や南支那海での米中
衝突に飛び火することもあり得るだろう。

また、ヨーロッパでも保護主義・移民排斥が強まりそうだ。3月のオランダ
総選挙、4月か5月のフランス大統領選挙、秋のドイツ連邦議会選挙。これらの
選挙によって、今後のEUの動向が占えると思われる。下手をすれば、EUは
解体の危機を迎えるかも知れない。

すなわち世界は、文明交代期という台風に襲われているのだ。しかも間もなく
“暴風域”に入ろうとしている。日本人は、この現実を直視しなければなら
ない。従来の政治の延長線上に未来は無いと覚悟し、文明の転換に耐えられる
国家を興すことに使命を定めようではないか。

我々は文明維新を迎えている。まさに幕藩体制のままでは近代日本を誕生させ
られないことに気付いた若者たちが立ち上がって、維新回天の大業を成し遂げた
ときのような、極めて重要な時代に入っているのである。

☆転送・転載・引用など(悪意・乱用でない限り)大歓迎です。出所(林英臣の
元氣メール)を必ず明記して下さい。あらかじめ当方にご一報下されば嬉しく思
います。
林 英臣 e-mail        :soukan@hayashi-hideomi.com
林 英臣 ホームページアドレス :http://www.hayashi-hideomi.com/
 

DNAの違いではなく

 投稿者:自適  投稿日:2016年 7月31日(日)16時00分28秒
  DNAの違いではなく、細胞質遺伝による機能発現システムの違いに依存する進化
http://www.seibutsushi.net/blog/2016/06/3836.html

カンブリア大爆発などの大進化は、DNAの進化(新たしい遺伝子の獲得)によるものであるとする説は、ただのDNA信仰に過ぎず、まったく事実に反する。カンブリアの生物のDNAは、カンブリア大爆発の数億年も前にほぼ完成している。

これと同じような誤解が、チンパンジーと人間の遺伝子は2%しか違わない、この2%が進化の原因であるという考え方である。これは、同じ人間でも、遺伝の際のコピーミスからもっと高い比率で差異が出ることから、たとえ、人間の遺伝子をチンパンジーの遺伝子と同様に書き換えても、人間はチンパンジーにならないという説もある。

それでは何が種を決定しているのか?

例えば、人間とチンパンジーの違いの主要なものは幼形成熟(ネオテニー)に起因している。これは、チンパンジーの子供の状態のまま人間は成熟することで、人間はサルに比べて性成熟が遅く柔軟な子供時代が長くなることを指す。

これにより、柔軟性にとみ、好奇心に満ちた探索行動が死ぬまで続き、置かれた自然外圧や同類外圧に適応するため、生後も脳機能が進化するという人間特有の適応方法を獲得できた。

この機能は、DNAや遺伝子そのものにあるのではなく、遺伝子に刻まれた機能を発現するタイミングに左右される。ほとんどチンパンジーと変わらない遺伝子をもつ人間では、脳部分の遺伝子を発現させるスイッチがチンパンジーより遅れるという傾向が強いという事実が分かってきている。

そして、その機能発現システムを担っている物質のひとつは、クロマチンといわれるDNAを巻きつける糸巻き状のタンパク質であることも分かっている。

このタンパク質はストレスを受けると、機能発現しやすい状態(糸巻きが緩む)に変化し、子孫に遺伝する。またこれは、精子や卵子の構成要素で、DNA以外の遺伝であることから、獲得形質は遺伝するということになる。

つまり、進化は、DNAの違いではなく、細胞質遺伝による機能発現システムの違いに依存する。これは、全世界のオサムシの遺伝子による系統分類と、形態による分類にまったく相関関係が無いことなどからも裏付けられる。

以下引用
『親の受けたストレスは、DNA配列の変化を伴わずに子供に遺伝』(リンク)

/////////////////////////////////////////////////////////////////

-ストレスが影響する非メンデル遺伝学のメカニズムを世界で初めて発見-

これらが、熱ストレスや浸透圧ストレスでdATF-2がリン酸化されると、ヘテロクロマチンから外れ、その結果、ヘテロクロマチン構造が弛緩し、抑制されていた転写が誘導されること、その状態が子供に遺伝することを突き止めました。

親の世代だけが熱ストレスを受けると、その影響は子供にだけ遺伝し、孫には遺伝しなかった(緑囲み)。しかし、二世代にわたって熱ショックストレスを受けると、その影響は子供だけでなく孫にも伝わることが分かった(黄囲み)。その影響はストレスが無くなった後も、何世代にもわたって遺伝する可能性がある(黄第5世代)。
 

万物に意識がある ~植物の“意識”~

 投稿者:自適  投稿日:2016年 7月31日(日)15時52分4秒
  万物に意識がある ~植物の“意識”~

http://www.seibutsushi.net/blog/2016/07/3852.html

人間をはじめ、動物に意識があるのと同様に、植物も意識を持っていることが実験で確認されています。

見た目にはわからなくとも、おかれた環境(外圧状況)や周囲の存在の意識(心)を敏感に察知して、反応しているようです。

ギョ焚く 8 クオンタム_ヒーリングとは?
<わたしんちの医学革命と雑多な情報>より

       ~前略~
    2. 万物に意識がある

    チョプラがいうまでもなく、私たちは意識というものをとかく軽視しがちです。
    これについて、「物質文明にどっぷり浸かり、モノとカネを追い求めて忘我の日々を送る現代人は、潜在意識が正常なものではなくなっている」といって、警鐘を鳴らす心理学者や人類学者がいます。

    これらの学者は、「物欲が刺激されるのは、五感が活発すぎるせいである。
    感覚器官からの情報ばかりが意識に入り、意識がそれに振り回される状態が続くと、正常な神経がマヒするようになる。
    人間関係の軋轢や、自然や生き物に対する配慮、思いやりが薄らいでくるのもそれが原因だ」と、警告さえ発しているのです。
    そういわれてみれば、この情報過多の現代社会のなかにあって、私たちの意識は、外部の世界に向きっ放しになっているような気がしないでもありません。
    それより内面の世界、つまり心というものにもっと意識を向けることが必要なのかもしれません。

    じつはそのことを明らかに示唆する、驚天動地の事実があったのです。
    人間や動物に意識があるのは当たり前ですが、なんと植物や鉱物にも意識、いや意識というよりもっと単刀直入に、心があるということが、実験によって証明されたのです。
    さらにもっと驚くべきことに、植物は人間さえ知ることができない、宇宙の神秘にかんする情報まで知っていることが実証されました。

    植物の意識についての研究の端緒を開いたのは、ポリグラフ(うそ発見器)の専門家で、CIAの尋問官であったクリープ・バクスター博士です。
    博士はあるとき、ガルバノメーター(微弱電流計)を使って、ドラセナという観葉植物が水をどのように吸い上げるのか観察していました。
    水を吸い上げたときの葉の電導率は上がるはずだったのが、記録計は逆の下降線をたどったのです。
    人間でいえば、ゆったりと気分を落ち着けたくつろいだ状態と同じ反応を示したわけです。

    そこで博士は、くつろいだ状態を示すなら、恐怖を与えたらどうなるだろうと、手っ取り早く葉を燃やしてみたらとそう思った瞬間、メーターの針が勢いよく跳ね上がったのです。
    びっくりした博士は、この体験によって、「植物が人間の感情を読み取る能力を持っている」、という驚愕の事実を発見することになったのです。
    その後の追認テストでは、たまねぎ、レタス、オレンジ、バナナなど25種類以上の植物や果物を使って、同じ結果が得られたことが確認されています。

    バクスターは植物だけではなく、動物の単細胞にも同じ装置を使ってさまざまな実験をおこない、その結果を発表しています。
    つぎはそれらのほんの一部です。
    信じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、すべて実験によって証明されている事実です。

    植物には過去を記憶する能力がある
    植物と植物の間、さらに植物と動物の間で、たえず情報通信が行われている
    植物は自分を世話してくれる、あるいは自分に好意を示してくれる人間に特別な感情を抱き、どこにいてもその人の想念を監視している
    植物や動物だけではなく、アメーバ、ゾウリムシ、血液、精子などの単細胞生命体にも意識がある

    これらの実験結果について、バクスター自身はつぎのように述べています。
    「知覚力は細胞レベルで終わっているとは思われない。
    それは分子、原子、さらに原子の構成要素にまで達しているかもしれない。
    これまで常識として、生命なきものとみなされてきたあらゆる種類の存在は、評価しなおされる必要があるだろう」と。
    ようするにバクスターは、細胞レベルに意識があることは確認したが、さらに分子、原子、さらには原子核(陽子と中性子)や電子のレベルにも意識がある可能性があるといっているのです。

    ~後略~

意識が細胞レベルまであることが確認され、さらに細分化されたレベルにも意識がある可能性が高いようです。
改めて何のために意識が形成されるのかを考えると、やはり外圧への適応度を高めるためではないでしょうか。
適応度を高めるためには、電子間、原子間、分子間、細胞間、・・・個体間、集団間というあらゆる位相において、情報(外圧)を共有し、突破可能性に収束していくことが不可欠です。
細分化された“各要素に意識がある”ことよりも、要素間で情報が共有されて“意識が統合されている”ことが、重要なポイントです。

また、外圧への適応のために意識が形成されるのであれば、進化の方向性もランダムではなく、意識のベクトルによって規定されていることも十分に考えられます。
 

たとえ死んでも消えない「つながり」

 投稿者:自適  投稿日:2016年 5月11日(水)07時55分39秒
  たとえ死んでも消えない「つながり」は、どうすれば手に入るのだろうか?

現代の核家族化や少子高齢化、そして宗教観の変化は、「葬送」の在りかたにも少なからず変化を起こしている。江戸時代にキリスト教などの外来宗教の脅威への対策として整備された「檀家制度」(寺請制度)は現代にも受け継がれてはいるものの、人口減少のなかで檀家が減り続けることで、今後は多くの寺院も維持・経営が難しくなってくる。そのため、地域との関わりをどう結びなおすか、改めて問わなければいけない時期に来ているというのである。そしてこれはなにも寺院(仏教)に限ったことではないだろう。

ただ、そういった宗教施設側の葛藤や、個人の宗教観の変化を迎えながらも、一方でやはり「墓」というものに対するこだわりはかなり根強いようだ。たとえば、

「墓がなければ自分の死後の拠りどころがない」

だとか、

「こどもがいないので死後に自分を供養してくれるひとがいないのが不安だ」

などと考えるひともまだ数多くいるので、そのひとつの解決策として、「合祀墓」(共同墓)とか「永代供養墓」などといった方法が提示されている。だがそれでも、

「合祀墓では死後の安らぎが得られないのではないか?」。

といった疑問はなかなか完全には解決しない。それにこういった「墓がきちんと用意できない、そしてそれを供養してくれるひとがいない」という問題は、日本だけでなく世界的にある悩みのようだから、特定の宗教の問題というより、もう少し深いところに根差しているものだと考えたほうがいいのかもしれない。

実際私自身も直接そのような質問を受けたことがあるので、今までも私なりに考えて、「生きた証がないなどと苦しむ必要はない。私たちのすべての経験は記録され、後世に役立てられていく」とか、「男系社会と女系社会。家の名前が途絶えることを過度に恐れる必要はない」などの文章にまとめてみた。そして私たちがよりはっきりと「真実」を理解し、肉体界と霊界を含めた世界の在りかたを真摯に受け止めることができれば、このような悩みはかなり晴れるのではないかとも思う。

しかし、これでもまだ少し言葉として弱いのかもしれない。だとしたら私ももう少し、このことを考えてみようと思う。

まずひとつ今の私に言えることは、こうした問題というのは私にとって、決して他人事ではないということである。なぜなら私にはこどもがいないからだ。そしてこれは今後も、ほぼ100%変わることはない事実である。それに私が死んだときに私の遺骨がどこの墓に埋葬されるかについても、私はよくわかっていないのだ。だから、実際に私の亡骸がどこかの合祀墓に入ったとしても、なんら不思議ではないのである。

だが、私は霊媒師としての経験から、「どこにどう葬られるか」ということそのものは死後の安らぎとまったく無関係であるということを確信している。言い換えると、遺骨の行き先が「合祀墓」でも「家代々の墓」でも、死後しあわせになるひともいれば思い悩むひともいる。これは、より丁重に葬られることが多いからと言って、人間が動物よりも死後にしあわせになるとは限らないという事実にも、如実に現れていると言えるだろう。

では、その死後の安らぎは最終的にはどこで決まるかと言えば、それは「生きかた」である。自分の人生に後悔が多ければ多いほど、ひとは死後思い悩み、後悔が少なければ少ないほど、ひとは死後もしあわせでいられる。だからやはり結局は、「大切なのは『どう弔われるか』でなく、『どう生きるか』だ」ということに尽きるのである。

とはいえ、たとえそれを認めてもらえたとしても、なぜ私たちが「家」とか「こども」とかにどうしてもこだわってしまうのかということをもう少し踏み込んで考えてみる必要もあるだろう。そうすると私なりの答えは、『愛されたという実感』がほしいから」なのではないかと思う。そしてこれは「つながり」とも言えるものだ。

家族とは「つながり」である。そしてこどもとは、他者との究極の「つながり」の結果生まれるものでもある。それは、たとえいずれ変わってしまうとしても、「かつて自分が愛された」という確かな証である。また、たとえお互いの想いが変わってしまっても、「この子は自分がいたから生まれた」ということ、「そしてこの子には『自分の一部』が宿っている」という事実は決して消えない。だからその意味では、「家族」のなかでもこどもが特別な意味を持つのも、確かなのだろうと思う。そして墓とは、「かつて私がこの世界に生きていた」という確かな証であり、それは自分とこの世界との間の、確かな「つながり」の証である。だから、ひとはそれを追い求め、それを得られないことで心から苦しむのだろうと思う。

だがそういった「こども」や「墓」というものは、必ず得られるとは限らない。それはつまり、私たちが求めずにはいられない「愛されたという実感」や「私がこの世界にいたという証」は、必ず得られるとは限らないということだ。そしてそれは、確かに苦しいことだと思う。心からそう思う。

だが私は、あなたのことを決して忘れない。私はあなたのことを大切に思っているし、あなたがここにいたということを、ずっと憶えている。そしてたとえ限られた瞬間でもあなたが私の人生に重なっていたあのかけがえのない時間は、既に私の一部として組み込まれている。それが、あなたの「生きた証」であり、この「つながり」は、決して消えない。たとえあなたがまだそれを「実感」してくれなくても、その事実は変わらない。そしてたとえあなたが私をどう思っていようとも、私の想いは変わらない。だからあなたがそれによって安らぎを実感できるようになるそのときまで、私はずっと、それを届けようと思う。たとえ私が、このからだを離れたとしても。それにそれは私自身のためでもあるのだ。なぜならそうすることで私はそこでずっと、生きていられるのだから。

ようこそ、闇の向こう側へ。
https://yaminomukogawa.wordpress.com/
 

文明の寿命を予測する方法は

 投稿者:自適  投稿日:2015年 8月24日(月)08時13分8秒
  ようこそ、闇の向こう側へ。
闇の向こう側

? 文明の寿命を予測する方法はもうあるが、それで私たちが変われるかは別問題だ
一見「無駄」に見えるもののなかにこそ、私たちを救うカギがある

「なんだ、そんなんじゃいつまで経ってもクリアできないよ。もっと効率よくレベルアップするにはね……」。これは私が先日たまたま耳にしたこどもたちの会話だが、私はこの言葉に心底ぞっとした。ついに、「遊び」にまで「効率」が求められる時代になったのか……。

私たち現生人類は自らの学名を「ホモ・サピエンス」と規定したが、これは「知恵のあるひと」という意味である。つまり、私たち、あるいは学者たちの一部は自らの特質が「他種族よりも知恵がある」ところにあると考えていたのである。しかし、これはなにも唯一絶対の意見ではない。たとえば、オランダの歴史学者であるヨハン・ホイジンガは人類を「ホモ・ルーデンス」だと捉えた。これは「遊びをするひと」という意味である。これは1938年の著書のなかで提唱されたものだが、それよりもずっと古い時代に、日本の『梁塵秘抄』にもこのような歌が遺されている。

    遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ

ここで「遊び」とはなんなのかについてあまり厳密な定義をするつもりはないが、私にとっての「遊び」とは、「非効率的で非生産的なもの」であり、だからこそかけがえのない価値のあるものだと考えている。遊んだからといって資産が増えるわけではないし、飢えが満たされるわけでもない。社会的地位が得られるわけでもない。むしろ「遊んでばかりいないで、少しは勉強でもしなさい!」などと言われてしまうことのほうがはるかに多いだろう。もちろん、本来は「遊び」の一種であったはずの「スポーツ」の道を究めて「プロ」になる方々もいるが、その場合それはもはや「仕事」であって「遊び」ではなくなっている。だから、やはり「遊び」とは本質的に「非効率的で非生産的なもの」、言い換えれば「無駄なもの」なのである。しかし、古今東西私たちの世界から「遊び」が消え去ったことはない。なぜ、生存することそのものには直接関係がないように思えるものがこれだけ強く私たちの生活に根ざしているのだろうか? この問いには、現代社会でますます強く求められている「効率」の対極にあるとも言える「遊び」(無駄)がなぜ必要なのかという重要な視点が示唆されている。だが、その「遊び」のなかにまで「効率化」の波が迫っていることが冒頭のこどもたちの会話から垣間見えるのだが、それはもちろん現代の「カネ至上主義」が影響しているのだろう。これは資本主義が現代社会でほとんど絶対的な力を持っていることを考えると当然の帰結とも言えるかもしれないが、もし私たちがこれからも資本主義に促されるまま「効率化」を推し進めていくとしたら、私たちはいずれ必ず自滅していくことになることに、あなたは気付いているだろうか?

資本主義はあらゆるものをカネを介して取引できるようにし、「自然」を「資源」に、「人間」を「人材」と見なし、根本的に変質させた。そしてそのカネは無限に増殖する性質を持っているのに、地球にあるあらゆるものは基本的に有限なのだから、そこには必然的に「競争」が生まれる。するとそこで問題になるのが「無駄」だ。だから私たちは「無駄」を省き、どこまでも「効率化」することを求められる。それは確かにときには技術革新などの好影響ももたらすかもしれない。しかし、あらゆるものを「損得」や「コスト意識」で測るようになればなるほど、私たちの「人間性」(共感性)は破壊され、心のゆとりは失われていく。それが究極に達すると、「あなたを助けてなんの得があるんだ? 自分さえよければいいんだよ」とか「この世は結局カネがすべて」といった思想が蔓延するようになっていくだろう。実際、既に私たちの社会にはそうした考えが出てきつつある。

しかしなかには、私たちに「経済発展」が求められる理由として、「より経済が豊かになることで私たちには『他者を助けるゆとり』が生まれる。そしてそのことが、社会的弱者の方々の生活の質の向上につながり、それがさらなる技術の進歩をもたらす」というような意見を表明するひともいる。これは「富めるひとがより富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」と考える「トリクルダウン理論」の一種とも見えるようなものだが、これが誤りであることはすぐにわかる。なぜなら、先にも書いたように「地球は有限」だからだ。確かに、数十年前、あるいは十数年前と比べても私たちの身の回りの技術は飛躍的と言えるほど進歩したかもしれない。しかし、それで社会的弱者が、というよりも私たちそれぞれが、どれだけしあわせになっただろうか?

それに、たとえばインドや中国のひとびとが全員日本やアメリカと同じような生活水準に至るとしたら、そのときはより強烈な自然破壊が起きることになるだろうし、実際今のような社会体制のなかでそんなことが実現することはあり得ない。ただ一方で、インドや中国、あるいはアフリカのような国々のなかにも、日本やアメリカの平均を遥かに上回る富裕層も存在する。だがこれは当たり前のことだ。なぜなら資本主義とは決して「全員が少しずつ豊かになっていく社会体制」ではなく、「貧富の差(経済格差)が少しずつ拡大していく社会体制」だからだ。そうでなければ、なぜ日本の生活保護受給者の数は「戦後最高」の水準になければいけないのだろうか?

そもそも、「究極的にまで効率化が進んだ社会」とはどのようなものかと言えば、それは「弱者が存在しない社会」である。これはもちろん全員が快適で満ち足りた生活を送れるようになった結果ではなくて、単に「弱者が切り捨てられた結果」である。つまり、私たちがもし「効率」だけを追い求めていくなら、それが行き着くところは「経済的生産性」だけですべてを推し量る社会であるということだ。だから、そこに弱者の生きる居場所はない。これはあらゆる「福祉」が消えていくということでもある。そしてこれは必ずしも「いつか来るかもしれない未来」の話ではない。たとえば見かたによっては「終身雇用制」というのもひとつの「福祉」だった。しかしこれはもはや確実に消えて行きつつある。そして、最終的には労働者は「不満を持たず、なるべく休まず、過酷な環境にも適応でき、いくらでも代えがある存在」であることが望ましいと考えられる。それにそんな存在はもうあるではないか? そう、「ロボット」(機械)だ。現代社会が「効率」を求める限り、ロボットは限りなくひとに代わる存在に近づき、実際に私たちに取って代わるようになるだろう。そして逆に私たちはよりロボットに近づいていく。今あらゆる場所で「人工知能」の研究が注目されているのも、決して偶然ではない。そしてそれがある程度にまで達したとき、そこでは「ロボットが人間を補佐する」のではなく、「人間がロボットを補佐する」世界が実現するのである。

これは今はまだ「極論」にも思えるかもしれない。しかし、ひとつ言えることは、「効率」を求めれば求めるほど、そこには「人間性」が要らなくなるということだ。だから、「効率化」をどこまでも推し進めていく集団が、いずれ必ず自滅する理由はここにあるのである。

ではここで考えてみてほしいのは、「効率化」が「無駄を省くこと」を意味するのだとすれば、逆に私たちの「人間性」は一見「無駄」なもの、つまり「非効率的で非生産的なもの」、ホイジンガの言葉を借りれば「遊び」のなかにあるということなのだ。私たちは今現在も否応なく資本主義のなかに組み込まれていて、それが簡単には変わらないものであるのなら、「カネ」や「効率」のことをまったく考えないことはできない。それに、効率を求めることで既存の技術が進歩することがあるのも確かだし、私たちのいのちに限りがある以上、「ときはカネなり」というのにも一理はあるだろう。だがだからこそ、ときには私たちも「無駄なこと」をしなければならない。大切なひととの他愛のない会話、道行くひととの助け合い、知らない場所への旅、あるいは仮想空間のなかでのゲーム……。こういったものは見かたによってはすべて「無駄な遊び」である。しかしだからこそそこにはかけがえのない価値があるのだ。そして多くのひとが言うように、この「人生」もまた、実際にひとつの「ゲーム」なのである。ただこの人生というゲームが最も素晴らしいのは、そこに「特定の目的」がないからだ。それはそれぞれが自由に設定すればいい。だから、他のひとには無駄に見えることもそのひとにとっては無駄ではないということもたくさんある。そういう意味で言うと、「人生に無駄はない」というのも事実なのだ。これも人生の興味深いところである。そして言うまでもなく、ゲームは楽しんでこそのものだ。「効率よくレベルアップ」する必要などない。急ぐ必要もない。ただたくさんの楽しみを見つければいい。だから私は今、「楽しくないのなら、なにかが間違っている」。いつもそう言っていた師の笑顔を思い出し、改めてその言葉を肝に銘じて生きていこうと、そう思っているのである。

https://yaminomukogawa.wordpress.com/2015/08/23/%E4%B8%80%E8%A6%8B%E3%80%8C%E7%84%A1%E9%A7%84%E3%80%8D%E3%81%AB%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%93%E3%81%9D%E3%80%81%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1/#more-1869
 

「こども日本学」その1

 投稿者:自適  投稿日:2015年 8月17日(月)07時52分58秒
編集済
  「こども日本学」その1

はじめに「日本人の精神の本流を取り戻せ!」

人間は誰だって平和が好きです。平和は人々の最高の願いです。ところが世界の
実情(じつじょう)は、争いと不安の中にあり、いつも動揺(どうよう)して
います。世界は今、暗い雲に覆(おお)われたまま行き詰まっている状態
(じょうたい)です。

これを取り払って、すべてを照らすのは、日本が神様から与えられた役割です。
それをしなければ国を興(おこ)した意味がなく、日本という国の存在理由を
否定することになります。

さて、最近の国民の意識(いしき)を見渡しますと、この世界的な使命
(しめい)を忘れ、右や左に傾いていて、この先どういう方向に向かうのかよく
分かりません。世の中がとても混乱しており、本当に不安になります。

せっかく義務教育を受けても、卒業してしまうと、熱心に努力し、正直で
正義を尊(たっと)び、優しさと勇気を持って生きようとうとする心を段々
(だんだん)失います。さらに上の学校に進むと、どうして親孝行(おや
こうこう)しなければならないのか分からなくなり、自分だけよければいい、
自分だけ儲(もう)かったらいいというような、自分勝手な考えに陥(おちい)
っていきます。そうして、世のため人のために生きようとする心が失われて
いきました。

また、政治に関心のある者は、誰かを激(はげ)しく攻撃(こうげき)する演説
を聞いたり、厳(きび)しく批判(ひはん)する内容が書いてある雑誌を読ん
だりすると、すっかり気持ちが、そのほうへ動かされてしまいます。やがて何が
善くて何が正しいかの判断(はんだん)がつかなくなり、世を惑(まど)わす
悪人たちは、思うままに力を振るうようになります。

そういうときに大切なことは、一人ひとりが自分の考えを持つということです
が、困ったことにみんな浮ついていて、心を磨き高めるための話は聞こうとして
くれません。それなのに、心に悩みを持たない人は、一人もいないくらい社会が
病んでいます。

ある人は右を振り返り、またある人は左をながめ、キョロキョロするばかりで、
どっしりとした信念(しんねん)というものがありません。本当に残念であり、
堂々(どうどう)とした日本国民は、どこかへ消え去ったのでしょうか。その
原因は、すべての国民に、立派な日本人になるための「精神の本流(ほん
りゅう)」が流れていないことにあります。

これは、日本のあらゆる問題の根本であり、とても重大なことです。もしも、
このまま放っておけば、私たちは日本建国(けんこく)の大きな使命に立つこと
はできません。いつの間にか他国の思う通りに操られ、日本の国も国民の生活も
破壊(はかい)されることになるでしょう。

私はずっと、このことを心配してきました。熱い心で国を救う大思想家が一日
も早く現れて、すべての国民を指導し、進む方向を決めて欲しいと念願
(ねんがん)しています。それは、私一人の願いではないはずです。

しかし、誰かを頼りにしていたら、もう間に合わないところまで危機が迫って
いることを強く感じました。それで、この本を出すことにしました。どうか、
いろいろな人に読んで貰(もら)いたいと思います。

この本を読んだら、今まで分からなかった疑問(ぎもん)が解け、国民が進む
大道(だいどう)が見つかり、世の中が正される。日本国の使命に向かって、
国民が誇りと品格(ひんかく)を取り戻せるようになる。そう願って、心を
込めて書きました。

ただし、その願いを一冊の本にまとめることは簡単ではありません。本書が
そのための入門書となって、信念を持って奮闘する立派な日本人が、一人でも
多く育つことを希望しています。もっと詳しく学びたい人は、自分で調べて
下さるようお願いします。

昭和2年1月25日    著者(林平馬)

林 英臣 e-mail        :soukan@hayashi-hideomi.com
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言葉が人生を決める

 投稿者:自適  投稿日:2015年 8月17日(月)07時45分3秒
編集済
  ◆言葉が人生を決める◆

言葉は、単なる意思伝達の手段ではない。言葉は、霊力を持った言霊
(ことだま)なり。言葉それ自体が霊力の固まりとなっているから、
古来これを言霊(ことだま)と呼んできた。

山上憶良は「言霊の幸はふ國(国)」、柿本人麻呂は「言霊の助くる國」と
言った(万葉集)。大和の國は、言霊によって幸せになり、助けられる國なのだ。

寺社でお祈りし、言葉が神仏に届けば、それを聞いた神仏が私たちの幸せを
導き、しっかり守って下さるに違いない。だが、それだけではない。
発する言葉そのものが霊力を発揮し、言霊として直接我々に幸福と守護を
もたらしてくれるのである。

だから、人生を決めるのは言葉なのだ。人間は、言葉に出した通りの運命に
なっていく。現在の自分は、これまで口に出してきた言葉の結晶体だ。
将来の自分は、たった今発した言葉が決めていくことになる。

そして、言葉は民族のDNAなり。言葉によって、その民族の文化や伝統、
思想と生活が伝承されていく。言語が消えれば、その民族は滅びる。
究極の祖國防衛は、大和言葉を基本にした國語教育にかかっているのだ。

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経済危機は、ドミノ倒しのように世界全体に波及するのか

 投稿者:自適  投稿日:2015年 7月15日(水)09時43分44秒
  ◆◆◆経済危機は、ドミノ倒しのように世界全体に波及するのか◆◆◆

◇お金を回すため、成長を止めてはならない…◇

21世紀の今、一国の経済が混乱したら、その国の政治が危機に陥ると共に、
動揺はたちまち他国に波及します。貿易や投資を通じて、互いに相手国を必要
とし合っており、外交上は対立関係にありながら経済では抜き差しならない
という、相互依存の関係が世界全体に出来ているのです。

小国の財政不安が世界経済全体に影響を及ぼしてしまう今、互恵的経済関係が
第一に重視されるようになり、昔に比べて戦争が起き難くなってきました。
中東のような不安定で紛争に利がある地域を除けば、もはや戦争をしても得には
ならず、これを避けようとする意志が世界中に働くようになったのです。

かつては、食料と資源・エネルギーの確保が、国家の存立と国民の生命を守る
基盤でした。今も基本は同じですが、経済活動によるマネーの動きにも重きが
置かれるようになりました。お金を回すため、いかにして成長を止めないよう
図るかに、世界中の指導者が頭を痛めるようになったのです。

このまま経済のグローバル化が絆を深め、世界から永遠に戦争が無くなって
欲しいものですが、その世界経済自体が危なくなってきたのではないかと心配で
なりません。利益が交錯し共存関係が深まった世界経済によって、国々が平和に
まとまるのか、それとも膨張資本主義経済の破綻によって一気に世界が転換する
のかと。

◇境界線に“口利き屋”の議員が割り込んで来る◇

膨張資本主義が破綻を導くかも知れない要因に、各国が抱えている財政赤字が
あります。世界的に財政赤字が膨らむ原因となっているのが、「政治による保護
や手当」を煽る欲望民主主義政治と、それを求める国民心理です。

公的に解決しなければならない課題に対して、なかなか行政の手が回らない。
社会保障によって救うべき問題なのに見捨てられたまま。そういう無情な現実が
ある一方で、幅広く役所が引き受けてしまって行政コストが嵩(かさ)んだり、
自立を促すべき人に自助努力を促せなかったりして、結果的に財政赤字が際限
無く膨らんでいく元になっているという事実もあります。

「生活保護を受けながらパチンコに通う」といった実態は、どの自治体にも
起こり得ることです。本当に行政が対応すべき相手なのか、それとも個人の
自立力に任せればいい程度なのか。その判断は簡単ではないでしょうが、国民の
独立自尊の精神を損ねさせないためにも、もっと政治が毅然とした態度を取ら
ねばならないことは言うまでもないことです。身勝手な有権者に対して、冷静に
叱れる政治家が出て欲しいと。

問題は、その境界線に“口利き屋”の議員が割り込んで来ることです。有権者の
味方のふりをしながら、実は自分の基盤と自派の勢力拡大を目論み、結果として
財政赤字を招いて行政を危機に陥れ、さらに国民の不満を煽っては社会の堕落を
導くというような、半徳議員の存在が問題です。

◇世界経済が戦争を防いでいるという状態も、実は大変危うい◇

日本も、国債を発行して借金を重ねなければ予算が組めない状態が長く続いて
います。個人が借金を減らす場合は、努力して収入を増やし、我慢して支出を
減らせばいいのですが、国家は個人よりも複雑です。

これから益々少子化が進み人口が減っていきますから、経済活動が減衰し、
国家の収入は萎みます。また、いっそうの超高齢化によって社会保障費が
増大します。

高齢社会を迎えた理由は、医療・食事・家屋(冷暖)・衛生状態などが良好に
なったことにあり、それは「人工的な長命化」であるという見解を耳にしま
した。率直に言えば、弱っても死ねない人工長命社会が作られたのだと。

健康だから長生きした昔と違って、今は不健康なまま生き長らえていく時代
です。そういう世の中を作ってきたのが、膨張資本主義や欲望民主主義だった
のではないでしょうか。

もしも国家予算が組めなくなれば、経済が大混乱となり、国への信用が失墜し
ます。経済規模の大きい日本の動揺は、国内だけでなく、直ちに世界に激しい
衝撃を与えます。

自国の混乱が他国に影響を及ぼすのは、どの国にも言えることであり、そうして
みると、相互依存で成り立つ世界経済が戦争を防いでいるという状態も、実は
大変危ういものであることが分かります。相互依存による平和は、裏返せば互い
に危ない状態でもあり、ちょっと揺らげば、ドミノ倒しのように危機が世界全体
に波及する恐れがあるのです。(続く)
☆転送・転載・引用など(悪意・乱用でない限り)大歓迎です。出所(林英臣の
元氣メール)を必ず明記して下さい。あらかじめ当方にご一報下されば嬉しく思
います。
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新憲法の制定は、いつ頃になるか

 投稿者:自適  投稿日:2015年 7月 2日(木)11時23分40秒
  「提言」◆◆◆新憲法の制定は、いつ頃になるか(中編)◆◆◆

◇日本は、まだ新しい社会秩序(SS)の誕生点に至っていない◇

社会秩序(ソーシャルシステム、略してSS)の盛衰パターンを研究する
文明法則史学では、明治維新(1868)から大東亜戦争敗戦(1945)に
至る約77年間を、一個のSS(近代日本SS)と捉えている。

その後はどうかというと、戦後復興期の上り坂→80年代の絶頂期→平成の
下り坂で一山になっており、ここにもSSに準ずる盛衰があったものと推定
している。但し、SSに必ず発生する文化型のパターン(少年型文化→
青年型文化→壮年型文化→老年型文化)が現れていないこともあり、不完全な
SSという意味で「準SS(戦後準SS)」と呼んでいる。

戦後準SSは、2010年頃に底を打って「過渡期」に入った。リーマン
ショック、尖閣危機の顕在化、東日本大震災などによって、バブル崩壊以降
長く続いた「閉塞の心理」から、「危機の心理」へと社会心理の転換が導かれた
のである。

2015年現在、我が国は、次のSSを誕生させる前の「谷底」に位置している
と分析。日本は、まだ新しいSSの誕生点に至っていないのだ。このまま衰亡
して終わることのないよう、何としても2020~2025年頃には新SSを
スタートさせねばならない。

◇自主憲法が制定されないのは、アメリカ占領下が続いているから◇

戦後は、SSに必ず発生する文化型のパターンが存在していないことからも、
準SSであると述べた。準SSの理由は、それだけではない。戦後我が国は、
政治、外交、経済、金融、情報、軍事など、多くの分野に渡ってアメリカの
指示を仰いできた。

沖縄はもとより、全国各地に130カ所以上の米軍基地があり、首都東京とその
近辺には横田基地、横須賀基地、厚木基地、キャンプ座間などが置かれている。
戦勝国の軍事基地が日本中に設置されたまま、戦後70年(平成27年)が経過
したのである。世界の常識に照らせば、独立した主権国家とは、およそ言い難い
実態であろう。

文化においても、映画やテレビ番組、ファッションなどに、アメリカの影響が
強く日本に及んだ。アメリカを相手に多くの犠牲を払いながら戦ったことを
忘れて、日本人はすっかりアメリカナイズされていったのだ。

100年後の歴史家は、日本の戦後を「アメリカ占領下時代」と呼ぶことに
なるに違いない。

則ち、アメリカに占領され続けていることで、いつの間にか自立を必要としなく
なってしまったという現実が、押し付けられた憲法から脱することが出来ず、
自主憲法制定の気運が盛り上がらない真因となっているのである。まともな
改憲論議が出来ないこと自体が、この国に“真の主権”が存在しないという
事実を如実に物語っていよう。

◇新憲法の完成は、SSの法則からすると2050年あたりか◇

誤解して頂きたくないのだが、筆者は反米を唱えているのではない。今はまだ、
中国の圧力に対抗するためにもアメリカの力は必要だ。しかし、日本がこれから
先、他国に侵略されない自立した国家になるためには、脱米や離米を進めざるを
得ないことになると主張しているのだ。

1776年の独立宣言頃に誕生したアメリカSSは、20世紀に入って最盛期を
迎えたが、ベトナム戦争で疲弊し60年代後半以降衰退期に入った。終了点は、
おそらく2030年前後になると目されている。「終了」を具体的に言えば、
ドルが基軸通貨の地位から転落し、最強の軍事大国の地位を他国に譲り、
世界全体を指導する力を失い、内政が不安定で他国に手が回らなくなるといった
ことであろう。

まだまだアメリカには底力があるが、興隆の勢いは既に中国に移っている。
中国とて、その未来には不安が付きまとい、常に内部崩壊の危機をはらんで
いる。でも、10数億人による巨大な「人民生命力」を侮ってはならない。

衰亡するアメリカと、膨張帝国と化してきた中国。その間にあって、自立した
国家をSSとして建設していくのが、当面の日本の国家目標なのだ。

まず、この5年から10年の間に明らかにしなければならないのが、日本は何を
目指すのかという新SSの基本精神だ。その後、成長するSSの「国民的勢い」
と共に、段階を踏んで制定されていくのが新憲法である。それは、SSの法則
からすると、おそらく2050年あたりの完成になるのではあるまいか。
だから、焦りは禁物なのである。(後編に続く)

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肩の力を抜いて、あるがまま自然に振る舞う

 投稿者:自適  投稿日:2015年 6月11日(木)07時27分14秒
  ★☆林英臣の元氣メール第863号☆★ 雅号は綜観(そうかん)
「肩の力を抜いて、あるがまま自然に振る舞う」
http://blog.mag2.com/m/log/0000149323/

「力を抜けば強くなる~老子に学ぶ柔らかな生き方」その87

◆◆◆肩の力を抜いて、あるがまま自然に振る舞う◆◆◆

◇これでは文明が行き詰まるのも当然◇

奪い合いや対立・闘争に満ちた世の中。これに拍車を掛けたのが欲望民主主義
でした。本来の民主主義は、国民一人ひとりに国家社会に対する責任があると
いうことを示した崇高な思想でしたが、次第に曲解されていきました。
「民」は「主」であるから王様同然に何をしても構わないし、要求すれば何でも
して貰える、というふうに受け止められてしまったのです。

そして、勝手主義の自由と悪平等が、欲望民主主義を“補強”しました。
民主主義は、人間を放縦で自堕落な方向に導き、依頼心・要求心を煽(あお)り
立てて止まない、次元の低い権利思想に堕落したのです。

地球環境を破壊する膨張資本主義と、私利私欲を募らせる欲望民主主義。
そして、人間性を下げてしまう低徳教育。これでは文明が行き詰まるのも当然
です。

勿論、競い合いは必要ですし、生成発展が止まるようでは、自然の法則に反する
ことになります。だが、それは人類進化のためであり、次元の低い叩き合いや、
足の引っ張り合いに終始していて構わないというわけではありません。

◇まず指導者が、無欲・小欲となる◇

さて、意識して為さないという「無為」の段階を通過し、ただ「為(なす)」
だけでいいというレベルにどう入るかです。そのためには、まず指導者が私利に
対して無欲・小欲となり、爪先立って闘争することを止め、肩の力を抜いて、
あるがまま自然に振る舞うようになることが必要です。そうすれば、人民は
指導者を見習って、心を和らげ、意識レベルを高められます。
その結果、世の中は「不争」になると。

争い合いがいかに醜く、それが高じた殺し合いがどれほど惨(むご)いことか。
人類は一日も早く、戦争の要らない世の中を創らねばなりません。老子は、戦争
を必要悪と認めました。しかし、それは仕方なくするものであり、戦争自体を
賛美したり、戦士を過度に英雄視したりすることを戒めました。

誤解して頂きたくないのですが、空想的な平和主義を主張しているのではあり
ません。祖国を守る誇りを捨てよとか、防衛力を持たなくていいなどと言うの
でもありません。

平和には段階があり、今の段階で一方的に戦争放棄を宣言し、軍備を保持しない
と唱えたところで、猛獣や猛禽類を相手に無警戒でいるようなものです。世界
は、まだまだ国家同士が武装して肩をぶつけ合う、陣取り合戦の最中(さなか)
にあるのですから。(続く)
 

未来社会について

 投稿者:  投稿日:2015年 6月 6日(土)01時08分51秒
  未来社会創造にあたって、幾つか役に立つ情報を紹介します

・象形文字の秘密
このブログでは、漢字の成り立ちについて独自の視点から解明しています

・野人エッセイす
このブログで提唱する「協生農法」
これがやがて百億に達する人類を養い、環境問題を解決する鍵となります

・およよと驚く毎日
このブログで紹介されている「原子の竜巻モデル」
これがやがて、現在の物理学を一変することになるでしょう

バックミンスターフラーが発明した「ドームハウス」
この新しい種類の住居を世界に広げることが
資源の問題を解決し、全人類に快適な生活を提供する鍵となります

・自然は脈動する
この本には、自然環境を回復するための重要な情報が書かれています

ダニエル・グリーンバーグが設立した「サドベリー・スクール」
この学校が、これからの教育改革の指針となります

・エマニュエル・トッド 世界の多様性
社会の仕組みを知るためには、この本の知識が必要となります

・パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学
既に絶版ですが、色色なブログに内容が引用されています
それさえ読めば本事体は買うまでもありません

また、霊的事柄について知識を深めるにあたり、以下のブログが参考となります
・序章・言葉とは? - 神言会
・神話の再発見『新事記』
 

霊存在との共通点

 投稿者:自適  投稿日:2015年 5月12日(火)08時44分12秒
  https://yaminomukogawa.wordpress.com/2015/05/09/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%80%8C%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E7%A7%81/#more-1636

かつてないほど「小さくなった」世界で生きる私たちと、霊存在との共通点とは?

私たちは普段幾重にも折り重なった「社会」のなかで生きていると言える。それは「家族」だったり「国家」だったり「文化圏」だったりするのだが、それは個人にとってはあまりにも大きな「世界」を理解し、そのなかでお互いを助けあって生き抜いていくためのひとつの知恵であるとも言えるだろう。それにある程度昔であれば、自分と違う「社会」で生きるひとびとのことを意識したり、あるいは実際に交流したりするようなことはそれほど多くなかったかもしれない。世界は広く、未知にあふれていた。

しかし、現代はそうではない。「グローバル社会」を生きる私たちは、諸外国で起こる出来事もかつてないほど早く知ることができるし、知ることを求められているとも言える。「地図アプリ」などを遣えば日本にいながらにして外国の風景を楽しむこともできる。メールは基本的に瞬時に相手に届けられるし、自分の知らない言語で書かれた情報でさえ、ある程度までなら機械が翻訳してくれる。

こうしてみると、私たちは「グローバル社会」が願ったように、世界(異なる社会)をつなげ、ある意味で「小さくする」ことに成功したとも言えるだろう。私だってその気になれば、日本にいながらピサの斜塔に最も近いパン屋の名前を調べることだってできる。私たちはそうして、世界の「謎」を少しずつ「知っていること」で埋めることができるようになったのである。

ところで、こうした状況にずっと以前から慣れ親しんできた存在がある。それが「霊存在」である。彼らは行きたいと思ったところにすぐ行くことができる。宇宙から地球の姿を眺めた後、東京の雑踏を観察し、それに飽きたらピラミッドの頂上からの景色を楽しむこともできる。それに本人が望むなら、好きなものを食べながら映画のように世界の歴史を見ることだってできる。まさに霊界ではすべてが「想いのまま」なのである。

そう考えると、霊存在は確かに私たち以上に「自由」なように思えるかもしれないが、私たちも霊存在にそれほど引けを取ってはいないのではないだろうか? もうすでに、世界のほとんどは「手のひらの上」に収まりつつあるとすら言えるのだから。

しかし、そんな私たちが必ずしも現状に満足したり、喜びを感じていたりしているわけではないように、霊存在も自分がそれほど満たされていると感じているわけではない。なぜなら、彼らの体験のすべては、ある意味で「疑似体験」にすぎないからである。私がネット上で歌舞伎町を歩いてみたり、ルーブル美術館の外観を眺めてみたり、あるいは高名な料理店の自慢のひと品の写真を見てみたりしたとしても、それは決して私の「体験」にはならない。それはインターネットでもテレビでも友達のおみやげ話でも同じである。そして、それと同じことが霊存在の経験にも言えるのだ。なぜなら、そこには「体感」や「実感」が絶対的に欠けているからである。

「疑似体験」にまったく意味がないとは言わない。霊存在に楽しみがないとも思わない。疑似体験をすることや誰かの体験を共有することは、「知識」や「共感」、あるいは「想像力」といったものを高めることにもつながるだろう。確かにそれも大切なことではある。だが、それが「自身の体験」でない以上、それはどこまで行っても「二番煎じ」を超えるものにはならないのだ。

だからこそ、霊存在は、そして私たちは、何度も生まれ変わるのである。そしてせっかく生まれてきたのだから、私たちはそれぞれの「体験」をいちばん大切にしたほうがいい。それは別に「歴史に残る偉業を達成する」とか、「秘境を旅する」などといったことに限らない。あなたのその「日常」で見たこと、聴いたこと、感じたことのすべてがなにより貴重なのである。それを得るためにこそ、私たちはこの世界に生まれてきたのだ。私は地球の直径を知っているが、地球のことはまだほとんど知らない。自分の年齢は知っているが、自分のことを知り尽くすまでにはほど遠い。世界がどんなに小さくなったように見えても、そこにはまだまだ多くの「謎」が潜んでいるのである。

だから、私はまだ最期まで生きていたいと思う。そして肉体を離れるときが来たら、私なりのみやげ話を多くの霊存在に語り、ひとしきり想い出にひたり、そして霊存在としての生活を存分に楽しんでから、いずれきっとまた、生まれ変わることだろう。そのときそこにある世界がどんなものであろうと、私が生まれ変わることを止めるとはどうしても考えられない。生きることはときとして苦しいことでもあるが、ここでこうして生きていなければ、私はあなたに逢えなかった。ただそのことを思うだけでも、私はやはり生まれてきてよかったと、そう確信しているのである。
 

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